思えばこの連載もこれで50回目!

凄いな―私やればできるんだなー。

皆様に楽しんでいただけていることがとても大きなモチベーションなのですが、こうしていろんな変遷をたどり、50回目がオフィーリアだ、というのも感慨深い。

 

と、言うのも私、オフィーリアにはそこまで思い入れ、ないんですよ(笑)

オフィーリアが絡む「ハムレット」のあらすじについては前回をご参照いただいて

世界で最も美しい水死体

 

今までご紹介してきた女性たち、つまり連載の最初のほうの話題だったイザナミやこのコノハナサクヤヒメ、

巴御前にプロセルピナ、アフロディーテ、そして処女神アルテミスやアテナ、

首を切る女ユディトにサロメ、からのカルメン、パンドラ・・女三宮はちょっとアレですがかぐや姫。

 

流れに任せているとはいえ、書きたいことは好きなこと、なので、私の好みの女性たちということになりますが、ごらんのとおり基本的には「強く美しい女たち」ってなりますよね。サロメと女三宮は賢くはないかもしれないけど、ある意味で強く美しいことには変わりない。

 

でもオフィーリアって、強くないんですよね。手弱女、ということばが誰より当てはまる女性。

手弱女というのは女性に対する形容としては間違いなく誉め言葉で、わたしも目指したいと常々思っているのですが(でも無理)、オフィーリア単体で見たときにそんなに魅力的か?と言われるとよくわかんない。

そしてシェイクスピアという天才作家から見ても、こういう女性ってあんまり好きそうじゃなような感じがするんですよね・・

 

あくまで私見なのですが、シェイクスピアの作品に出てくる女性って、強い女性が圧倒的に魅力的だと思うんですよね。

すごくわかりやすいところでは、男装して大活躍するヒロインが複数いる。

つまり、「弱きもの」であるところの女ではなく、男の土俵で男との勝負に勝てるヒロインをきっちり描いている。

これって(エリザベス女王の治世だからなのかな)、すごく意味があると思うんです。

(まあでも当時の演劇は全部男性が演じているので、男性が女装して女を演じ、しかも役の中でさらに男装するという事実はあるにしても・・)

 

でもハムレットに出てくる女性は二人しかいなくて、そのうちの一人がこの手弱女オフィーリア。

そしてもう一人は、夫である王(ハムレットの父)が死んでたった2か月で、その弟と再婚し、マザコンであるハムレットを絶望させる「弱きもの」ガートルード。いわゆるハムレットのママ、そしてデンマーク王妃。

ハムレットは、夫を亡くしてたった2か月で違う男(しかも夫の弟)と床を共にする母親に幻滅して、「弱きもの、汝の名は女!」とか絶叫するわけです。ようするにマザコンで潔癖症っていうか・・?

これだから純潔男子は!!

 

まあハムレットのことはこの際いいとして、オフィーリアもガートルードも要するに弱い女として描かれていて、このお話、強い女不在なんですよ。

でも、シェイクスピアのヒロインたちの中で一番多く絵画に描かれているのは間違いなくオフィーリアです。

先日ご紹介したジョン・エヴァレット・ミレイを筆頭に。

しかもみんな、とんでもなく魅力的に描いてる。死んでるか、狂ってますけど・・でもとにかく、ため息が出るほど美しオフィーリアの数々。

いくつかご紹介すると、

 

byアーサー・ヒューズ

 

by ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

 

by アレクサンドル・カバネル

 

 

by ポール・アルバート・ステック

 

狂って水死する女性がみんな、好きなの・・?

 

発狂した後のオフィーリアは、花々にただならぬ情熱を見せ、乱れた髪に野に咲く花が飛び散っていたりして、そして水死した情景については王妃であり義理の母になりそこなったガートルードが「花輪とともに水の中に落ち、自分の不幸に気づくこともなく、人魚か妖精のように美しいまま亡くなった(超訳)」と語り、そしてその墓にも花が撒かれる、という、これでもかこれでもか!というほど花にまみれた描写をされています。

もちろんシェイクスピアが意識的に、オフィーリアと花、そしてその死を美しく描いているので、このうら若い乙女の花に彩られた死というのが天才画家の皆様をインスパイアしたのだというのはすっごくよくわかります。

「死と乙女」というのは本当に心をとらえるモチーフですもんね・・

 

私もこれらの絵が大好きで、ベッドの隣にもミレイのオフィーリアが飾ってあり、水死体を眺めながら毎日眠りについているのは以前書いた通りですが、だけどさ!

愛する男に罵倒されたくらいで取り乱し、父を殺されたからって発狂して水死する女性っていうのは・・。

 

絵画のモチーフとしては美しいし、そしてその男に一切逆らえない、手折られたらそのまま死ぬ、というこれ以上ないほどの手弱女ぶり、そして狂ってからの妙に可愛らしい奇行の数々(登場人物たちに意味ありげに花を贈りまくる、謎の歌を歌いまくる)などは、演劇として見たら、俳優・女優魂を燃え上がらせる見せ場になることは当然かと思いますが、単体の女性としてとらえた場合どうしてもクエスチョンマークがついてしまうというか?

 

これ、このままシェイクスピア・シリーズになだれ込む流れなのかな・・?