すごいですねー、見切り発車で始めたこの連載、気が付けばその14。

途中番外編とかも挟んでるから、二週間以上!

自分でも驚いちゃうくらい次から次へと書きたいことに巡り合えるのも、コメントやメッセージをくださる皆様がインスパイアしてくださるからです!ありがとうございます。

こうしてブログとか、オープンな媒体で文章を書くということはもちろんリスクと隣り合わせで、いつどこで悪意あるサイトに晒されてあることないこと書かれてこき下ろされているかわからないというストレスは常にありますが(ブログやサイトを休止したのにはそういう理由もあったりで・・何しろ根が小心者なもので・・)、もう年も年だし、そういうのは気にしないことにする!

 

というわけでその14なのですが、今も昔も14というのは私にとって特別な数字なので、ちょっと特別感のある事を書こうかな、と。

なのでちょっとだけ流れを逸脱(というか多分順番が前後)しますが、今日は何より思い入れのあるお話を。

 

古事記や神話の世界から大きく時代を進めて、平家物語。

日本人の美意識の根底、諸行無常と滅びの美学の最骨頂・・のなかの一人の美女のお話し。

 

それは、「珍しく死ななかった美女」、巴御前です!!(私的には、で、出たあああああああああああ!!という感じ!)

 

古今東西、伝説になる美女というのはたいてい早めに死ぬんですがー(これについてはまたそのうち絶対書きたいんですが)たまに生き残る美女がいたりすると、この扱いはなかなか厳しい。

死ななかった美女代表はそりゃもう間違いなく小野小町。

(日本においては)世界三大美女の一人とまで言われているのに長生きしているあたり、堂々たるものとも言えますが、美女はやっぱり下手に長生きするもんじゃないって言うか、晩年は散々な描かれ方をしています。(これについてもまた今度!)

三大美女のあとの二人、クレオパトラも楊貴妃も、年老いる前に悲劇の死を迎えていますからその差が余計に・・。

 

ところが、われらが巴御前。

美女と言ったらお姫様が当たり前だった平安時代(末期)の美女でありながら、一騎当千の女武者。

朝日将軍・源(木曽)義仲の寵姫であり、同時に軍にあっては大将として獅子奮迅の大活躍をするという、かなりのチート性能です。

そして朝日も昇る勢いで連戦連勝、ついに平家を京都から追い出して源氏最初の征夷大将軍になったのにいろいろあって(いのいろいろあってに万感の思いがこもりすぎる)、最後は義仲とそれをまもる5騎のみ、というところまで追い詰められます。

この5騎にまで残っていた巴。

美女物語としてとらえるなら、これはもう絶好の死に場所です。

義仲を守って、でもよし。義仲に守られながら、でも力及ばず一緒に、でもよし。

もうどんな死に方でもいいからここで美しく花を散らせ、伝説に残りたいところ。というかここで死なずにいつ死ぬの!

なんですがー。

 

平家物語って男目線の物語だから(なのか)、なかなか、美しい滅びの美学を女性に適用してくれないところがあるんですよねー・・ずるい・・。

 

義仲は、「お前は女だから逃げ延びろ。この義仲、最期の戦いに女を連れていたなどという恥をかくわけにはいかない!」とかなんとか言って、巴だけを逃がしてしまうんですねーひどいよねーわかってないよねー

一緒に死にたかったよ私・・(あっ油断すると心の声が漏れる・・)

 

巴の内心はともあれ、そこは武士的体育会系主従関係。殿のご命令とあらば、ましてや将としてのメンツを持ち出されたら従うしかありません。

巴は、ちょうどよくそこにやってきた追っ手に敵の大物をみつけると、「最後の活躍をお見せしてから参ります」とばかり追っ手の首を馬に押し付けてねじ切って捨て、そのまま鎧を脱ぎ捨てて颯爽と逃げて行ったわけです。

愛する人に見せる最後の姿が、大男の首をねじ切って捨てるサマって・・・・美女として・・・・・・かっこいい!!!

(美女と男の首、というモチーフも古今東西みんな大好きですよね♥サロメとかユディットとかね♥)

こうして巴が去ったあと、巴の兄であり親友でもある今井兼平と義仲の男二人の名場面「木曽殿最期」があるのですが、

これは男のロマンということでとりあえず置いといて。

 

問題は巴です。かっこいいのはかっこいいんですが、こうして絶好の「麗しの死に場所」を失ってしまったので、なかなか死ぬに死ねません。

伝説はいろいろと広がり、義仲の仇である頼朝に召し出され、その重臣である和田義盛と結婚して怪力の息子・朝比奈三郎を産んだ、というほほえましい(?)お話を挟んで、

最終的には義仲の最後の場所である琵琶湖のほとりにて、尼として91歳まで義仲の菩提を弔った、ということになってます。

 

あっ、当たり前ですけど嘘かほんとかはどうでもいいんですよ!

そもそも平家物語って「物語」ですから、何が本当でなにが脚色なんかわからないし、まして巴御前などという端っこの登場人物の真実なんてわかるはずがありません。

大事なのは、この物語を語り継いできた人たちが、何を望み何を託してこのお話を語ってきたのか、ということで、そもそも、物語を語り継ぐことってそういうことだと思うから。

 

何はともあれ、お話しのオチとして、巴は義仲討ち死にのその場所で、愛する人であり主君でもあった人を弔い続けて、おばあさんになって死ぬ、という結末が選ばれたということです。

若くて美しい時に義仲と一緒に死ねたほうが華々しかったけど、まあこれはこれで、美女の一生としてはそれほど悪くないな、と思わせる。要するに、「落ちぶれた美女」という意地悪な描かれ方をされていない、というの、すごく大事!

小野小町がこれでもかこれでもか!というくらい落ちぶれさせられるのとは対照的。

偶然なのか必然なのか、二人ともお能のタイトルロールとして採用されていますが、その中での描かれ方も対照的すぎてむしろ小野小町ほんとかわいそう。

 

小野小町が意地悪されちゃったのは、やっぱり、いわゆる、「男を振りまくった」からですよね。モテモテ美女だったのに誰のものにもならず、孤高の美女を守り通した小野小町→からの、みすぼらしく落ちぶれた哀れな老婆。

主君でもあり恋人でもある義仲を守り戦い、その言いつけを守って死ぬことさえ諦め、(途中別の男の子供を産んだというシークエンスはありつつも)とにかく一人の男をその人を思い続けた巴御前→からの、穏やかに愛する主君を弔い続ける一途な尼。

 

巴御前が、「生き延びてしまった美女」であるにもかかわらず意地悪されなかった理由はこれか。一途さか。というか「男をたてた女」だからか!!

 

あっまたいつもの結論に近づきつつあるどうしよう!

 

でもね、わたしはここでは、「男ってこれだから~」とは、ちょっと思えない。

何故なら義仲は、巴が尽くすに足りる男だった、と思うから。最後のところで男のロマンとメンツを求めすぎてるところは巴にはかわいそうだったけど、そういう男に巡り合えた巴は幸せだったと思うから!!

 

女の幸せは男次第、とは決して思いませんが、こういう場合も、あるからねえ・・

世の中の男性には心して、女が命を懸けて尽くすに足りる男になってほしいです。切実。

 

 

琵琶湖のほとりにある義仲寺、義仲のお墓とそのお隣の巴塚。

そしてまさかの、松尾芭蕉のお墓も・・(芭蕉、義仲好きにもほどがある)