先週いっぱいかかりっきりだったスポットの通訳のお仕事について、フィードバックをクライアントから頂きました。

「吉野さんの素晴らしい通訳と仕切り能力なしには、今回のプロジェクトの成功はなかったと思います」

という、最大級の賛辞をいただいて本当に光栄です。

というか!
そう「仕切り能力」。
通訳の仕事のやり方っていろいろあると思いますが、私は個人的には、通訳というのは「言葉の翻訳」をするのではなく、「外国人が含まれる複数人によるコミュニケーションの最適化」を担っていると思います。
言葉の翻訳だけなら、近いうち、Google翻訳にとってかわられるでしょうけれども、複数の、しかも国籍と母国語と文化の異なる人間の間にはいって会話の交通整理をし、なんとかクライアントが望む落としどころへ落とし込む操縦術、というのが通訳としての醍醐味であり、能力なのではないか、と。

なので、それを「仕切り能力が素晴らしい」と、初めてご一緒したクライアントに評していただけることは、お金よりも心に染みる報酬です!(お金も大事だけどw)


日本語って本当に特殊な言葉なので、欧米の言葉同士を翻訳するのとはわけが違います。逐語訳ができないから、訳す人のセンスによって、どのようにも変わります。
そして、人間の会話なので、いろいろなミスコミュニケーションも発生します。言い間違い、勘違い、話の脱線、意見の食い違い、言い争い、感情論、その感情論に対する感情論・・
それを理解しつつ訳しつつ、伝えつつ進行しつつ話を進めるとき、
そこには通訳の人間としてのキャラ、キャパ、人間関係構築能力も大きくかかわってくる、と思います。

この話をすると、「一介の通訳がそこまで立ち入る必要あるの?」と言われることも多いし、また、多くの人は通訳という仕事は「人々の話す一言一句を極力正確に相手に伝える仕事」と思っていらっしゃると思うのですが、少なくとも私にとっては違います。

そもそもイタリア人と日本人てコミュニケーションの方法が違いすぎて、普通にやったら会話を成り立たせることさえ難しかったりするので。
イタリア人は必要以上に主張し、主張を曲げることも厭わない(だからさっき言ったことと今言ったことが違っても彼らにとっては恥ずかしくない)文化だし、日本人は間違ったことを発言したり、必要以上に主張することをないより嫌う文化。正反対なのです。

それを、イタリア人の主張をなだめ、いさめ、日本人からの「さっきと違う」をいうクレームをかわし、
また、日本人のオブラートに包みすぎて何が入っているんだかわからない本心をできるだけ引き出し、イタリア人にもわかるようなニュアンスでそれを伝え、
ということをするためにはどうしても、ある程度、私の魂を削って相手全員を、状況を、落とすべき落としどころ理解しないといけないのです!

私にとって通訳をする、というのはそういうこと。
なのでとても消耗します。
だからこそ、うまくいってよかったし、褒められて安心した!

通訳になりたい、という若い方にはよく言っているのですが、外国語を話す能力と、通訳をする能力は違います。
自分の言いたいことを外国語で伝えるのではなく、
他の人の言いたいこと、やりたいこと、伝えたいことを、最適な形でほかの人に伝える事こそ、通訳の本分。
ということを改めて考えました。

面白いお仕事を頂けて、ご縁に感謝です。