最近、けっこうフェイスブックを使っていると、気づくことがあります。
ほんと、SNSって面白くて、その特徴ごとに、関わり方が全然変わってくるのねー。
人間の本性といえばいいのか、人間関係の本質なのかわかりせんが、「匿名(あるいはハンドルネーム、あるいは芸名?)」で書くことが前提のブログと、「実名」を公表することが前提のフェイスブックでは、わたくしでさえ、書くことがぜんぜん違うからです。
わたくしでさえ、というのは、このブログはわたくしにとって割りとリアルライフに近いもので、吉野紅伽、という正気とは思えない名前も、最初はコルティジャーナのキャラ、つまり
↓この人
の名前として半ばというか90%くらい冗談でつけたにもかかわらず、
いまや公式な芸名として
↓この人
の名前になっちゃってるしねー。
もはや「吉野紅伽」というひとは単なるネット上の人格ともいえず、リアルライフでも「ベニカ」と呼ばれることが年々増えてきて、ちょっとこの芸名を後悔することもしばしばあるのは秘密ですが、この一応オフィシャル?ブログも含めて、単なるオンラインのためのものではないんですけれどもね。
しかしです。
その上のイラストの人も、下の写真の人も、わたくしである事は間違いないのですが、やはり、本名を名乗るときの自分とはちょっと、ずれてるというのも事実。
これが不思議なところだわー。
フェイスブックは本名、しかも旧姓のほうでやっているので、基本的に「吉野紅伽」名義の活動は秘密というか、ほとんど触れていません。
恥ずかしくて触れられないというか。
だってさー、本名でつながっている友達って、わたくしがベニカという名前を使う遥か以前からの(中学生とか高校生の頃の)友達もたくさんいて、いきなりどのツラ下げて
やー、実は、吉野紅伽っていう名前で絶世の美女を目指していてー。
しかも何を間違ったか、芸能活動まで(この年ではじめちゃってー。えへへ。
といえるのかしら、と思っちゃう。
そして、フェイスブックに書き込むこと自体も、こうしてけっこう好き勝手に、毒舌や愚痴や説教やその他、思うところをのびのびと書かせていただいているブログとは違って、読む人に負担を与えない程度の短い文章、しかも必要以上に内面を見せない、んだけど、その代わり、写真とか個人情報(リアルにどこにいるとか、何をしたとか)は具体的に書いちゃう。
不思議です。
かくも、アイデンティティというか、「名前」に規定される自我というのは変わるものなのか、と。
人は、モノ(あるいはヒト)に名前をつけることによって、その実存を定義し、理解するといわれます。
名前をつけるまで曖昧模糊とした存在だったものが、名前を与えられたとたん具現化する、というのはよく言われることですが、これもそういうのの一部なのかしら。
まあそんなことはどうでもよくて、こうしてベニカ名義でのびのびと振舞わせていただける場があることも、
そして本名のほうでどっちかっていうと慎ましやかに(、なのか。)地に足をつけて動けるフィールドがあることも、
その両方がネットの世界の中で可能となっていることも、すごい世界だなあ、と思います。

