
もはやあれですね、毎週書いているので、こうなったら開き直って毎週書きますが、
今週も
小磯一斉と吉野紅伽のたいむりぃっすん
書籍バラエティぺらぺらぺらぺーら
のお時間がやってまいりました。
今週と来週は、諸般の事情がありまして、わたくしが「秋の美女祭り」をお送りしております。
今週はねー、これを語るには7,8分の尺ではもちろん足りないので、ほんとうは連載にしたいくらいだった源氏物語。
以前、一度ご紹介しているので、今回は橋本治さんの「窯変 源氏物語」をきっかけに、女の幸せについて語ってみました。
わたくしは源氏物語は、現代語訳されているものはかなりたくさん読んでいるのですが、そのなかでも1,2を争う大好きなバージョンがこの橋本源氏。
クールで残酷な光源氏が、女を女とも思わない扱いで次々とものにしていきつつ、しかし、そんな彼も結局は・・という一大悲劇でありながら、美しく妖艶でうっとりします。
基本的にわたくしは悲劇は好きじゃないし、人生は出来れば常に喜劇(面白くそして幸せ)であるべきだと思っているのですが、それでもやっぱり悲劇は美しい。
絶世の美女には悲劇が似合います。
でもねでもね、わたくしは、悲劇の美女じゃなく、喜劇の美女(や、喜劇っていうのは、今は「笑えるドラマ」という意味で使われがちですが、もともとはハッピーエンドのお話、という意味なのですわよ)を目指したいの。
悲劇のほうが絵になるけど、そしておそらく世間的にはそういう人をこそ「絶世の美女」と呼ぶのかもしれないけど、
でも源氏物語の時代には、逆に言えば、そういう美女のあり方しか許されなかったということでもあるのかも。
美しく教養溢れる姫君の物語は、どこかで必ず悲劇に転換してしまうという社会構造。
けれどせっかく今の日本。
この恵まれた社会に生きているのだから、
わたくしたちはわたくしたちの、ハッピーエンドの絶世の美女ライフを歩もうではないですか、キュンティアよ!!
(キュンティアというのは古代ローマ時代の高級娼婦で、詩人プロペルティウスのマドンナなのですが、これを大学時代に学んだわたくしたちにとっては、なにかというと使ってしまうフレーズなのです。「生きようではないかキュンティアよ、そして愛そうではないか!!」)
というわけで今週もぜひ、聞いてください★
小磯一斉と吉野紅伽のたいむりぃっすん
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