会話をする瞬間から自動的に自分をデキる側、相手をデキナイ側に持ち込もうとするなら心に聞いてみる必要がありそうです。

もしそのような事があるなら…

例えば、それまで弱気で振る舞っていても相手の会話の何かのキッカケで相手の弱みを見つけた瞬間、自動的に自分をデキる側に設定し、形勢逆転をねらう会話に持ち込もうとするといった事もおこりそうです。

このような思考は「やらなくて済まそうとする」「学習をしないで済まそうとする」意思が含まれているのかもしれません。

もしこのような日常を送っているならば、勝ち負けばかりが先行して、お互いに建設的な人間関係は永遠に築けそうもありません。
もちろんやらなくて済まそうとする意思が先行してしまうだけに、自分で考えずに答えばかりを探して、その場しのぎの安易な解決策ばかりが先行してしまう可能性もありそうです。

基礎知識から学び、そこから試行錯誤し、また必要に応じて基礎学力を学ぶ…。この一連の学習によって問題を解決した経験が一度でもあるなら冒頭のような選択は、なかなか出来るものではありません。

ただし、基礎学力の用語、原理だけを「暗記」して、ウケウリ知識をひけらかし、まるで有識者のように振る舞い、その証拠として持論は持っているフリをし、事例として他人の結論を披露して見せ、後の肝心な自分自身の私見や発見などは他人にヤラせて批判や添削だけして、良さそうなら自分の功績としてとりいれている状態も、自分を基礎学力を学んだ人間と勘違いしてしまう可能性がありそうです…

関係なさそうに見えますが、読書をする時、頭に入らなかったり、ついナナメ読みをしてしまったり、飛ばし読みをして「知っている事柄ばかりを探して」いたりするならかなり危険な要素があるかもしれません。
読書の本来の目的は、読むことによって自身の感性や知識を変更・更新してゆくものと思われますが、「他人を出し抜きたい」「有識者側に立ちたい」などの目的で読むとかなり読書が上記のような安易な解決策を探す読み方になってしまうのではないでしょうか?

俳優は常に自分の心を疑い、根本的な問題を解決する勇気が必要です。
安易にゴールを目指すより、「希望を持ってゴールに立ち向かう過程」に幸福を見出していきたいものです。