前回の補足の中にパラダイムと言う言葉を入れました。

このパラダイムについて、今回はお話ししようと思います。

この「パラダイム」
ある時代や体制などで支配的な ものの考え方や広く受け入れられている思考形態…

あるいはその時その時で常識として当たり前に疑いなくそこにいる人々が考えていること。

これは、我々の日常では理解しにくい…というよりは理解し難い…もしくは場合によっては″理解したくない″といったたぐいの表現ともいえましょう。

例えば、「Aさん」という人物かいるとします。
そして、「Bさん」というAさんより年齢も若く、さらに立場も低い人物がいるとします。
ある時Bさんが、Aさんの「立場上、あってはならない間違い」を指摘した場合、AさんはBさんにどのような処理をするか考えてみてください。※あくまでもそのようなことがあった場合です!

コンピュータ同士なら、プログラムした側のミスが無い限り、このような間違いを指摘する事態にはなりませんが、我々はそうはいきません。
これを仮に「立場・年齢差別」と言いましょうか、非生物的な能力を信じるあまり、ヒューマンエラーを許さない、甘やかさない!といった考え方が横行してしまった社会性もパラダイムといえましょう。

逆にこの「パラダイム」が当初は良い意味であったはずが、定着すると非常にやっかいなのです。
例えば、事態を変えられない、停滞している、馴れ合いがおきていると言った問題の大きな原因のひとつが実はこれだったりします。

パラダイムは全ての個人に存在し、前記の例に限らず、自分から見て あらゆる方面に放射して存在します。

このパラダイム、実際は当たり前すぎて「気付かない」からパラダイムなのです。

ある意味、ある一方面のパラダイムの「ファクター」に気づいて認めてしまっていたら、すでにパラダイムシフトしていて、それについては別のパラダイムに移行しているのかもしれません。

良いパラダイムに見えてもパターン化して慣習的になれば悪習に!

演技にはこの「パラダイム」が重要なポイントになりますのでご注意下さい。(※後々ご説明致します)

いやぁ今回も難しい言い回しだったたでしょうか?

難しいなあって感じの人もいれば、そんなのわかってるよ!いやそれは意味が違う!etc…みたいな意見もありますが、まぁまぁ落ち着いて…ここは一応、建て前上は人権と民主主義を重んじている国ですから…。


◆補足

最初の例のような考え方は、いよいよ人類の知能をコンピュータが超えてしまうようにいわれる昨今では、前時代的な思考かもしれません。

もちろん中には脳や血管や細胞にミクロ・ナノレベルのロボットを挿入して、人間の持つ機能を制御し、非生物的能力を獲ようという野心的な研究も承知しております。そして、脳の解析によってアルツハイマー病や脳卒中、知覚障害などの神経学的な問題を解決する可能性もあります。ですが、それとヒューマンエラーを指摘し、非難するのとは別問題です。

非生物的な部分は最高の性能を発揮するかもしれませんが、生物的な部分がもつ柔軟性が、人間の持つ最大の武器といえないでしょうか?ヒューマンエラーを恥じるより、利点としていかす社会を目指していこうではありませんか。