その考え。本当にあなたの考えですか?
「ステレオタイプ」という言葉をテレビ等々でなんとなく耳にした方もいらっしゃるでしょう。
私は「ステレオタイプ的なものの考え方」という言葉を実際、何度か耳にしたことがあります。
これはアメリカのW・リップマンの作品「世論」に詳しく説明がなされていますが、というかこの本が我が国での発生源としか考えられないのですが、上記の「ステレオタイプ的なものの考え方」という表現。「自分は絶対にステレオタイプではない!」という事が前提でないと難しい。全文読んだ事のある方の発言とは考えにくく、当のリップマンでさえ後半には不安をぬぐえない様子でした。自らが神にでもなったつもりでないと、なかなか切り離して考える事は難しい。
では、ステレオタイプとは何か。
それは、人間であれば通常はそのタイプであり、ステレオタイプから逃れる事はほとんど不可能に近いのではないでしょうか。その割合を我々の努力によって少なくする事は可能でも撤廃は不可能でしょう。
さて、その【ステレオタイプ】
人は何かをイメージや確認をする時、見てから定義をしないで、あらかじめ定義してから見る。つまり、先に(あるいは前もって)ある種の固定観念をもってから確認作業に入るため、自動的にイメージが左右されてしまう。
我々は、生まれてから現在まで、当たり前のように意識に入って来る、両親、個人間の会話や個人のローカルな情報、宗教、民族的な慣習、大好きな芸能人の発言、新聞、テレビのニュース、ドラマ、アニメやインターネット等々のグローバル、ナショナリズムな情報等によって、何かしらの事態や状況など、事物に対しての答えや判断基準があらかじめ決められており、まず固定観念として当たり前のように、または自動的に前提条件のフィルターがかけられた状態で判断を下す。そのような状態をさして「ステレオタイプ」という。そして、ステレオタイプが固定観念として個人の前提条件にロックされてしまっているため、当たり前のように常識として、しかもバランスをとりながら、好都合につじつまを合わせつつオートメーションで作用してしまう為、ステレオタイプとして「正しい」と埋め込まれた情報に対して「反対する」意見・理解・事実があったりすると、いきなり反論が始まったりなど、自動的に根拠なく受け入れ難い状況にしてしまうのです。極端に拒否している場合は、みずから受け入れにくい状況に持ち込んでしまう場合もあるでしょう。
【ステレオタイプ自体を、我々が偶像崇拝の対象にしている可能性】
自分が正しいと思っている事や、思わずくちばしってしまった発言が、何かのきっかけで不安になり、つじつま合わせのために、自分の答えが合っていると思われる情報だけを探して正当化をはかるような経験が誰しもあるのではないでしょうか?この根源にステレオタイプが存在している可能性があるのです!
もしステレオタイプで無い人(神は人ではないのを前提として)が存在するならば、そのような人物は、人類の歴史の探求者であったり、宗教的にいわゆる「七つの大罪」がなぜ敵なのか等々。自分自身についてはもちろんの事、人類について、今、この瞬間にも探求し続けている人物でなければなかなか難しい。
つまり、誰でも必ず何かしらの地域、国、民族等々の様々なステレオタイプになってしまうからだ。
なんと言っても、これを書いている自分(私)だって例外じゃない!
これを読んでいるあなたも!「違う!自分はそんなことに流されているはずはない!」と思っているあなたも、「その考え」自体がステレオタイプの可能性があるのだ。
自分なりの判断基準とは何か?
これを読んでいるあなたも、だまされたと思って本当にあるのかどうか疑ってみてください。
自分がたよりにしている「その情報」自体もステレオタイプではないと断言できますか?自分が正しいと思っているその情報が、「自分の中のステレオタイプの判断基準」によって正しいと思っている可能性は?不安になったら最終的に情報ソースの情報元の「肩書き」のせいにして逃げるつもりは?(当たり前じゃないか!情報源がなければ話せないだろう!なんて理屈自体がおかしいと思いませんか?そもそも最初からマタギキでウケウリ思考の可能性は?)
例えば、何か分からない事があった時、答えをインターネットで検索して答えを探していないだろうか?検索で出された様々な回答のなかで、自分の都合の良い答えを選んでいるだけなのに、まるで自分で判断したつもりになってませんか?不安になったら最終的にネット情報やネット回答者の責任にするつもりでは?
また、分からない事は国語辞典や百科事典や電子辞書で調べて終わりにしていませんか?知らず知らず当然のごとく回答を販売者の責任に転嫁し、答えをうのみにして自分の意見のようにするが、反論されたら出版社やメーカーなどの販売側のせいにするつもりでは?
つまりこのような【ステレオタイプ】が【他人事にせず】【自分も含め】【存在する】ことを【認める】事が事がこの問題を解決する唯一無二の手段と思われます。
その上で安易な解決方法はとらず、事実確認を細かく掘り下げる事。情報は内向きにならず、社会全体で能動的に開示してゆき「隠し立てをしない方がメリットが多い」社会にする事が必要。なぜなら、お互いに「相手(あるいは自分)の都合の悪い事は触れないようにしよう」という気持ちが強すぎると、いつの間にか内向きなコンセンサスがとれてしまい、馴れ合いのご都合主義のステレオタイプがルールとして確立してしまうので、権力者にとっては非常に都合がいい。なぜなら、根拠がなくても、それとなく噂を流せば無責任に自分勝手なルールが確立してしまうのだ!そのため、実体のハッキリとしない「権威があるかのような陰口」がステレオタイプとしてそれとなく確立してしまうと…さあ、大変!知らないうちにあなたも被害者になってしまうかも…。
あの大国アメリカでもステレオタイプが引き起こす世論の危険性を感じているわけです。
このようなステレオタイプ的な思考が極端に進んでしまう状況はどのような社会でしょうか?
思い付くところは…
・多勢が良しとするものを良しとする社会。
・その時点における権力に対して弱い社会。
・世間の慣例に物申すことの厳しい社会。
・プロパガンダが簡単に通ってしまう社会。
・善悪がやけにハッキリしている社会。
・ルールに問題があっても、議論によって変わる様子がない社会。
・新ルールが沢山つくられているハズなのに、報道やネットやマタギキのうわさ以外で、実際には何の運動も起きている様子がないし、自分も他人まかせの社会。
・ファシズム
・それとなく噂(うわさ)を流すだけで自分の立場が良くなってしまう社会。
・自分の考えを明確にすると、そう考えなくてはならなくなるため、考えがまとまる前に情報収集して、世の中と同じ考えを持ち、素早く周囲のクウキを察知して他人に目をつけられない存在になり、さらに的確な忖度(ソンタク)をし、あわよくば頭角(トウカク)を表して権力を握る事が必要な社会。
等々…
いかがでしょうか?
なんとなく嫌な予感が…
これは「民主主義」の根幹にかかわる問題です。
もう少しで「演技と会話」についての基本的な骨子が終わりますのでご辛抱願います(^_^;)
いろいろ賛否両論あると思われますが、毎回申し上げております通り、ここは建て前上は人権と民主主義を重んじる国に住んでいるわけですから、寛大なご理解をお願い致します。
そして、ここで気になる「民主主義」とは?
次回はこの危険な問題に挑戦してみます。
(ステレオタイプの語源に関しては、ここで言及は控えます。リップマン「世論」(上)岩波文庫:解説p264【~かれはまた、イメージをつくる祭に人間がある種の固定観念をもつことによってイメージが左右されると説き、それを「ステレオタイプ」と名づけた。】解説:掛川トミ子)