●演技における会話とは?
前回は「コンセンサス」について触れました。
consensus...辞書辞典ひいても合意だの同意だの意味不明な契約っぽい感じですが、本音と建て前の日本の文化には あまり登場しない日常の意志ソツウの感じなので、こんな訳になっておりますが...。
※以降難しいなと感じた方は流し読みで大丈夫です。
コンセンサス。
前回は「コンセンサス」について触れました。
consensus...辞書辞典ひいても合意だの同意だの意味不明な契約っぽい感じですが、本音と建て前の日本の文化には あまり登場しない日常の意志ソツウの感じなので、こんな訳になっておりますが...。
※以降難しいなと感じた方は流し読みで大丈夫です。
コンセンサス。
とにかくカタチの上での会話では、その会話じたい真実味がないし、建て前上の合意は、都合が悪くなれば、もっともらしい言い訳が出来次第、簡単に破棄されてしまうので大変危険です。
つまりコンセンサスとは、お互いに共通のファクターを認識し合い、その上でお互いの主張を差別なく自由に考えをつき合わせ、同意できれば、足りない部分は補完しあい、共通のルールを持ち、助け合う感じです。″極端″に言えば「あなたの意見は私の意見。私の意見はあなたの意見」くらい話し合って同意しているわけです。
逆に日本でありがちな、はっきりとは言わずそれとなしに、または間接的に、または状況(クウキ)というつかみどころのない感じを出す(または相手をソウだと勘違いさせる自己演出か、ソウダロウ?的な集団演出)その上で、なんとなく雰囲気が確定したら、はっきりとした文言は控えつつ「話が決裂したら後で大変なことになるぞ」的な脅しなど、相手の弱みにつけこむネタを大なり小なりチラつかせるなどetc、とにかく何かしらの[※1]パワーバランスがお互いに存在したら コンセンサスどころか、建て前上の同意以外は難しい!(そのネタ自体がないと怖くて話せない人もいるのでは?)気づいたら″毒まんじゅう″つかまされてたり、ハニートラップにあってたりなんてね🖤
ちなみにコンセンサスを、約束や契約などの「プロミス‐promise」と混同しないでね。
いやぁ難しいなあって感じの人もいれば、そんなのわかってるよ!いやそれは意味が違う!etc…みたいな意見もありますが、まぁまぁ落ち着いて…ここは一応、建て前上は人権と民主主義を重んじている国ですから。
これと演技と会話に何の関係が?
ところで先を知りたい方へ朗報です。ここで気になる「ファクター」を認識?について次回ご説明致します!
いやぁ難しいなあって感じの人もいれば、そんなのわかってるよ!いやそれは意味が違う!etc…みたいな意見もありますが、まぁまぁ落ち着いて…ここは一応、建て前上は人権と民主主義を重んじている国ですから。
これと演技と会話に何の関係が?
答えーオオアリデス。
ここが問題点だったのです!!
ところで先を知りたい方へ朗報です。ここで気になる「ファクター」を認識?について次回ご説明致します!
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注釈
※1)この中でのパワーバランスは、いわゆる日本的な忖度(ソンタク)やクウキなど、実体は無いのに当たり前のように力関係が存在し、個人の自由な発言を抑制するような力が自制的に働く事によって、自然と(あるいは自動的に)力の均衡が働くことです。欧米的に(すべてとは言えませんが…)、「たとえ無理やり立場を利用して没論理的に論破してきたり、足下を見る発言、政治的、現実的な圧力があったとしても、立場状況に関係なく個人の自由な発言は許されるべきであり、その時の発言によって、その後の生活に制限かがかけられるべきではない」と言うような方向の思想が我々の社会にあれば、パワーバランスと言う表現は、この場合不適切であります。もし仮に、我が国で「民主主義」を採用するにあたっての議論を国民的に行い、真の意味での民主主義的コンセンサスがとれていたならば、現在のように、まるで当然のごとく、ある意味推奨されるほどに「忖度」や「クウキ」的な圧力が、常識的に存在するかどうかは疑問ですが…。忖度やクウキは支配者階級にとっては非常に効率的で、ありがたい制度ではあります。※民主主義論に関しては、今後の記事に予定しております。