「情報」はなぜ「情」なのでしょう?「状」でないのです。
その違いには「こころ」が関係していました。
●じょう【情】 【広辞苑第六版より】
物事に感じて起こる心の動き。
主観的な意識。きもち。こころ。
思いやりの心。なさけ。
異性をしたう気持。
ありさま。ようす。
●じじょう【事情】 【パーソナル現代国語辞典より】
わけ。いきさつ。ようす。状態。
●じ-じょう【事情】【広辞苑第六版より】
物事がある状態になった、細かな様子・次第。ことの次第・ありさま。

★中国の古代文字によれば、左のリッシンベンは「こころ」つまりハートを表していて、右の「青」は、「生」と「丹」を組み合わせた字となっています。
生は、草が生える形をもとに作られ、丹は、赤土で作られた「井戸」の形をあらわす。
青の場合は、草の色と丹の井戸から湧き出る清らかな水から、青いという意味で使われるようになったという。
情が、ものごとに感じて起こる働き=感情、つまり心のことを表すようになったのは、、
昔の中国の解釈で、「性」を体とし、「情」がこころのはたらきと考えていたことによっているいう説があります。
「情」は昔から、「なさけ」「おもいやり」の意味があったのですね。
相手のことを思いやれる、湧き出る井戸水のような清らかな心が「情」だとするなら、「情報」はまさに、この気持ちで発せられるべきでありましょう。