♪側室が語る、きよしこの夜 | ◆VISTAの発見◆

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♪いつかはきっと セレンディピティ

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以下:徳川11代将軍の側室たちによる思い出ばなし天国録。

賛美歌109番「きよしこの夜」を司祭モールさんのご依頼で
グルーバーさんがお作りになって、すぐさま詞を付けて完成した
のが西暦1818年。
ザルツブルグ近郊のオーベルンドルフの礼拝堂でのことでした。

このころ吉宗さまの曾孫、将軍家斉(イエナリ)さまは、大奥に
入り浸っていらっしゃいました。
1818年といえば、ほぼ17番目の息子や26番目の娘が
生まれた頃でございます。

オットセイ将軍などと言われて生涯26男27女をもうけましたが、
子沢山となるにはワケがございました。
15歳で将軍職を継ぐ際に、子女を多く儲けるように実家・一橋家より
訓戒をうけたためです。
徳川家の天下を一橋家の系統で押さえるためでもあったのです。

ちなみに家斉さまの正室と側室15人のお名前を思い出しましょう。
正室:近衛寔子 
側室:お万の方、お楽の方、お梅の方、お歌の方、お志賀の方、
お里尾の方、お登勢の方、お蝶の方、お美尾の方、お袖の方、
お八重の方、お美代の方、お八百の方、お以登の方、お瑠璃の方、

家斉さまの在位50年は、歴代将軍の最長記録でして、
非常に身体壮健で、在職中で病臥したのは数回の感冒だけでした。
お好のみは「チーズ」のような「白牛酪」(はくぎゅうらく)という
高タンパク乳製品。生姜も1年中食べていらっしゃいました。

幕政はほとんど主導なさらず、松平定信や松平信明らの幕閣に任せて
自らは大奥に入り浸っていましたし、多くの子女を生み、
それらを多くの大名家に縁組させましたので、
幕府財政を大きく揺るがせることになり、後世幕末まで影響してしまいましたの。

家斉さまが、もしこの時代に「きよしこの夜」をお聴きになっていたら、
いかがお思いでしたでしょうか・・。
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