♪三国志的神戸遊び | ◆VISTAの発見◆

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♪いつかはきっと セレンディピティ

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孫権が皇帝となった呉の首都、建業は今の南京。
その南京を冠した中華街が神戸元町にあります。
にぎわいの南京町には蒸籠から湯気を立ち昇らせて売られる包子、まずは
饅頭(マントウ)のお話から。

●饅頭こわい?


(西暦225年)建興3年、蜀の丞相諸葛孔明は総軍50余万で
南蛮国王の孟獲を攻めた。
秋9月王化平定が終わり帰路、濾水のほとりで諸天を祠つる表を書いて、
幾万の鬼霊に祈り、これを戦の魂魄に捧げてその冥福を祈ると唱えて、
供え物と共に河水へ流した。
古来、この河の荒れて祟りをなすときには、三人を生きながら沈めて祭る風習があったと聞き、孔明は、麺に肉を混和して、人の頭の形を作り、これをその夜の供え物にした。
名づけて「饅頭」とよび慣わしてきた遺法は、濾水の犠牲(いけにえ)より始まるもので、その案をなした最初のものは孔明であったという伝説があるが、さて、どんなものか。--------
(講談社発行 吉川英治著 三国志 出師の巻 王風万里)

●マントウ試食の後、楼門観察はいかが?

南京町の東入口にたつ楼門(長安門)の石材は河北省石家荘の特産の大理石漢白玉で中国政府が日中友好のために海外特別出荷を認めた第1号です。この産地、石家荘というところは実は、孔明とともに蜀を助けた趙雲子龍(229年没)の出身地でもあります。

●四川料理はピリカラだった?

劉備玄徳や諸葛孔明の本拠は蜀。(現在の四川省、首都は成都)。
四川盆地は寒暖の差が大きく、食べ物も唐辛子と油を有効に使った料理が特徴のようです。
では玄徳や孔明はたとえば麻婆豆腐などピリカラ料理を食していたのでしょうか?

玄徳は西暦223年に63歳で没し、孔明もまた西暦234年54歳で病没。(そういえばこの8月23日は孔明の命日ですね。)
さて中国にトーガラシが伝播したのは、メキシコから15世紀にスペインへ伝わり、また16世紀インドへ伝わった後でしょうから、玄徳、孔明は南蛮胡椒も唐辛子も知らないはずです。もちろん麻婆豆腐は清の時代(17世紀から20世紀初頭)に開発されたので両夫もご存知なかった。

神戸のおすすめ四川料理店:マンダリンパレス、天府、長江

●関羽はソロバンを発明した商売の神さま?
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関帝廟(南京町北西20分)には劉備玄徳の義弟 関羽雲長(219年没)が祀られています。
関羽は中国では47番目の神さまだという。文武にひいでた義人で経済に意を用いたところから、世界中の中華街で商人の信仰を集めているそうです。ソロバンといえばかつて中国では尺貫法で1斤は16両など16進法を用いたそうですが、5珠2つ、1珠5つの枠珠式のソロバンの原型に関羽がどうかかわっているのか知りたいものです。
神戸の北部の小野市はシェア70%という日本一のソロバン生産地。小野市にも関羽は祀っているのかしら?

三国志 全8巻 3,316ページを再読しました。1日平均6時間読み、通読に
約14日かかりましたが、1ページに1分半もかかったのは地名、人名の漢字の難しさにありました。
登場する漢人名の姓、名(諱=イミナ)、字(アザナ)、諡(オクリナ)および出身地について、人びとはこだわり感をもっているようです。

●子孫はどこに

曹操孟徳(220年1月23日没)現、杭州東図上村の1600人中
1500人が曹という姓。

諸葛亮孔明(234年8月23日没)現、諸葛八卦村に子孫

孫権仲謀 (252年4月16日没)現、杭州富陽市南部龍門古鎮に子孫
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