三文オペラ ≪ 私はお金に恋をすることにした≫

三文オペラ ≪ 私はお金に恋をすることにした≫

私のインターネットビジネスへの取り組みを中心に、
お金について考えたことや我が家の顛末を書いていきます。

お金嫌いのためのお金儲けブログへようこそ。


このブログはお金の嫌いな私が贈る、やはりお金の嫌いなあなたへのメッセージです。

この世にお金が嫌いな人がいるなんて考えられない、という方はここに書かれることは奇妙奇天烈、
何一つ理解できないことばかりでしょう。
多分、あなたがお読みになっても単に時間の無駄。何も得るところはありません。


しかし「お金大好き!」と言えないあなたは、多分私と同類です。

いや「お金大好き!」という程ではないけれどお金の必要性は理解しているし、
とにかくお金が必要で困っているのだという方。
「お金が必要」という時点で、あなたはやはりお金が嫌いなのだと思います。

「お金が好き」「お金が欲しい」ではなくお金が「必要」。
これはお金嫌いが口にする典型的なセリフなのですから。


このブログは、お金嫌いの私がお金というテーマにどっぷり浸かって、どっぷりハマって考えよう、
というものです。
そして一歩進んで、お金嫌いがお金儲けできることを証明しよう、というものです。
お金の嫌いなあなたに代わって、私が考え、私が証明して見せましょう。


「いや無理!絶対無理!」と言いましたか?
今、そう聴こえましたよ?

通常、嫌っているものは逃げて行くことはあっても、まず寄ってきません。
だからお金も嫌われたら逃げて行く。寄って来ない。
それはその通りですね。

ですが、私には別の考えもあります。
その考えとは何か。
それはこのブログの中で追々明らかにしていきましょう。


あなたや私とお金との関係が、明るいものに変化するように。
そして私達の人生そのものが、明るく変化するように。

ここは私とあなたとお金と、三者四脚のブログです。


次の記事では私の自己紹介をします。
一体どんな妙ちくりんな人間が現れるのか?
どうぞご覚悟のほどを。
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お金嫌いのためのお金儲けブログへようこそ!
 
今日は、ようやく自己紹介の最終回、なんでこんな私がネットビジネスなのか?
を具体的にご説明する完結編です。

端的に書きますと、ネットビジネスに取り掛かったきっかけは、
私が夜勤をしているスーパーマーケットの先輩で友人であるベトナム人留学生Cさんとの約束にあります。
 
実は私はこの2016年の年末には月100万稼ぐと公言しています。(!!!)
そしてCさんに月100万稼ぐやり方を伝授する、と約束しました。
 
・・・そうなの。で、今は?いくら稼いでいるの?と当然あなたはここで聞く。
「いやまだ0円。」と私は答える。
 
もしあなたが多少ネットビジネスの事情を知っている方なら、
そしてネットビジネスであろうが何であろうがお金儲けに少し自信のある方なら、
今一瞬口あんぐりになったはず。
でなければ、コーヒー吹くか。
 
そして心の中でつぶやかれたに違いありません。
『無理無理、絶対無理ー!!!』と。
 
でも私は周りの皆に公言していますから、もう無理やりでも何でも、12月だけは100万いかないといけないのです。
 
で、なぜ100万かと言いますと、私が親友のCさんに日本でいくら稼いだら納得なのかと聞いたとき、ちょっと考えて「月100万」と答えたからです。
でも「夢」?ムツカシイよね・・・という雰囲気アリアリで。

「じゃ、100万、一緒に稼ごうよ!一年待ってよ。」と私はそこで約束しました。
それが去年の12月のことです。
 
留学生でもリスクなく稼げる、ベトナムに帰ってからも継続的に稼げる、となると何だろう。
ネットビジネスなら何とかなるのでは?
この際、もうやるしかないな・・・。
そう心を決めました。
 
そこでさっそく12月中にスマホアプリの塾に入ったりもしましたが、公私の私の部分も忙しく、
また仕事も日勤・夜勤両方やっていたこともあり、
春にとある教材に出会うまでは、結局何もできずに月日だけが飛ぶように過ぎました。
 
それから更に3か月。
私はただ手をコマねいていたわけではありません。
このブログの記事はたまーにしか書かなかったけれど、実はこの間、
「自分ビジネス」の企画を立てたり、でなければグループワークに取り組んだりしていたのです。
(それについてはまた別の機会に書きますが)
でもちょっと初心者には難しすぎて、サクッと形にするわけにはいきませんでした。
 
ですので、ここから仕切り直しでやって行くしかありません。
で、年末になったら、ちょうど約束の1年です。
 
ともかくそういう訳でした。
 
本当はCさんだけではありません。私がネットビジネスを教えてみたいのは。
ベトナム人の留学生にもあと数人。
そして日本人スタッフにも教えたい人がいる。
そしてこれは夜勤のメンバーではないけれど、日勤の同僚だった25才の中国人の女の子、
Rちゃんにも。
 
ハーバードやスタンフォードのビジネススクールに行ったエリートなどではなく、
『ゆくゆくは上場してやるぞ!』とのし上がる気満々の実業家タイプでもない、
タダのスーパーマーケットのバイトのメンバーでビジネスのグループが作れたら。
そしてエリートや野心家とは違う視点で面白いことできないかな。
 
それが、私の夢です。
 
何でお金嫌いのみつとらがよりにもよってビジネスなのか、ご理解いただけましたでしょうか?
こんな私なので、珍騒動も起こるかもですが、どうにか乗り切って行けるよ、と楽観的な私です。
 
長かった私の自己紹介もようやくお終い。
序曲にしてはちと長すぎましたが、これでいよいよ三文オペラの開幕です。
 
では三文オペラ、第一幕第一場へ!
 
お金嫌いのためのお金儲けブログへようこそ。
 
今日は私をネットビジネスへと誘った彼らとの出会いについて書きましょう。
「彼ら」とは、前回一言前振りしましたが、ベトナム人留学生です。
 
私の勤めるスーパーマーケットの夜勤にはベトナム人留学生が大勢います。
ベトナムからの留学生は日本で主にITやビジネスを勉強し、
大学(或いは専門学校)卒業後日本で就職して数年間お金を貯め、
それを軍資金にしてベトナムで事業を起こすか、あるいはベトナムで有利な条件で就職する。
そんなプランを描いて、多くは多額の借金もして、野心と決意を抱いて日本にやってきます。
日本とベトナムの経済格差はどれほどでしょうか。
具体的には知りませんが、屋台のフォーが一杯10円だか20円だか、と聞いているので、
それなりに開きがあるのは確かでしょう。
 
皆若く、中には20才そこそこで妻子同伴で来日、或いは妻子をベトナムに置いて来日、
という人も結構います。
 
そんな彼らが行く大学は、日本人は聞いたこともないような新設大学です。
そこでは学生はベトナム人ばかり。日本人は先生やスタッフのみ。(専門学校もご同様)
そして、私は色々な話を聞きましたが、あっと驚くほど大学にも先生方にも熱意がない。
「先生は冷たいよ」「自分のゼミに来ないで下さい、とどの先生も言うよ。」などという言葉をよく聞きます。
断っておきますが、その学生があまりに劣等生なので、どの先生も自分のゼミに来るな、
と言っているわけではありません。
そうではなく、授業中などにクラス全体に向かって言うのだそうです。
 
そんな話を聞く度、私の心には木枯らしが吹く感じ。
私は、大学の先生程、親身になってくれる方々もいないと思っています。
そして恩師に育てられ、影響を受けて人生の基礎を作るところ、それが大学でしょう。
大抵の人間にとって、大学とはそのような、自分を大切に扱ってくれるところであったはずです。
 

学生たちは大学に通いつつ、教育を受けるチャンスを失っていると言いたくなるほど、

彼らの通う学校は教育とは名ばかりの学校です。

 
その大学に年間2、3百万払い、学費と生活費のために、彼らはブラックバイトに励まざるを得ない毎日です。
バイト先はと言いますと、人手不足解消に留学生を利用するだけ利用し、使い捨てにします。
大学といい企業といい、留学生にたかって経済回していくことしか考えないような連中ばかりで、
彼らの人生を考えようとする人間はどこにもいない。
私はホスト国日本の人間として恥ずかしく、厳しい現実を前に次第に夢を失って無気力になっていく彼らを見るのが嫌で、とうとう私がこの現実を何とか打開したいと考えるようになりました。
 
彼らの中でもベトナム人のリーダーのCさんは頭がよく、留学生斡旋の会社も作って事業を手掛けていますが、大成すると言えるところまでには至らないようで、もったいなく思っていました。
ベトナム人の描くビジネスモデルは30年前のもので、せっかく日本でITを学んでも、
残念ながらそれをビジネスの強力な土台にできるという発想がなさそうです。
また、金を儲けたければ日本で大金を儲けられる場所に行く、または金儲けを教われる人を探すといった、チャンスを探す発想もないのですね。
Cさんは逆に人に頼らず自分の力で成功したいと考えるタイプで、どうも彼のプライドはそこにあるようでした。
しかし、ビジネスマンの家系でもなく、ビジネスマンのモデルを持つわけでもない彼の場合、
師匠を持たずに学ぶことなくビジネスの世界で頭角を現すのは難しいように思えました。
 
実は、私がバイト先で一番大好きなのがこのCさんです。
単に頭がよいということではありません。
スーパーで彼は私の大先輩、そして先生でした。
スーパーマーケットに勤務を始めたころ、何もわからない私に、彼が品出しも値引きもレジも、
全て手取り足取り教えてくれ、そして仕事の遅い私をいつも手伝ってくれたのです。
レジなど初めての私は、ピーピーエラー音が鳴り響いて出て立ち往生ということもしょっちゅう。
その度に彼が飛んできて助けてくれました。
そしてジョークのセンスが抜群。よく笑わせてくれました。
ベトナム人にはユーモアのある人が多いですけれど、
彼は病気で身も心も死んだようになっていた私を蘇生させてくれた、貴重な友人です。
 
その彼が、数年の間に段々無口になり、暗い顔をするようになり、活力を感じさせなくなりました。
そんな彼を見ていて、Cさんと一緒にビジネスやりたいな、という思いが強くなっていったというわけです。
 
長くなりましたから今日はここまでにします。
お読み下さり、ありがとうございました!
お金嫌いのためのお金儲けブログへようこそ。
 
今日は、なぜ私が今のタイミングでネットビジネスなのか、という点を書いてみたいと思います。
 
 
子育てのみに走り続けた20年間が終わるか終わらないかの頃に、私は病気になりました。
慢性膵炎という何ともテキトーな病気です。
まあ一応難病ということになっています。
 
最初の内はそうでもなかったのですが、そのうち大分症状が重くなり、仕事もできず、
病に伏せる状況で数年を過ごしました。
 
生活費は貯金の切り崩しです。
ネットビジネスについては、その頃実は大分調べて、状況は大体把握していました。
しかし如何せん体が苦しい。
ネットビジネスなら寝ながらでもできるかと思いましたが、そんなに簡単でもなかったのですね。
ただ寝ているだけでも相当ツライ状態でしたから。
で、ホントにただ寝ていました。
 
そんな数年間の後、何とか回復しつつあった私は社会復帰のためのリハビリとして、
スーパーマーケットの夜勤に目を付けました。
というのは、よく深夜に近所の24時間スーパーに散歩がてら寄っていたからです。
 
深夜の人気のないスーパーで牛乳や豆腐の品出しをしている店員さんを見て、
こんな仕事があるのだな・・・と思いました。
あまり忙しそうでもないし、これなら私にもできるかも、と。
何より仕事は単純作業なので、考える時間がたっぷりありそうです。
これからの人生をどうやって生きていけばいいか、病床で散々考えたことではあるけれど、
病気の時には前向きなことは考えられない。
回復した今こそじっくり考える必要がある。
だから、考える時間があり、ヒマそうな仕事は願ったり叶ったりでした。
 
本当は夜勤は結構キツイものなのですが、ライターなど家でやる仕事を結構していた私には、
楽勝に思えました。
フリーランスの仕事は自分で好きな時に仕事ができるとはいえ、それは裏返せば24時間営業ということですし、〆切り前など本当に夜も昼もなく、睡眠も食事もお風呂すら吹っ飛ぶのが当たり前になってしまいます。
ですから、夜だけ規則正しく働く夜勤なんてすごく健康的に思えました。
 
で、始めてみたところ、最初は相当にキツかった。
体はほぼ回復したとはいえ、昨日まで一日の70%は横になっていたようなものですから、
いきなり拘束時間11時間、休憩時間2時間を除いて実働9時間の勤務をこなすというのは、本当はメチャクチャです。
 
でも、まず社会復帰の第一歩として、不動産のチラシを配るバイトを少しやって体慣らしをしていたこともあり、何とかなると思ってしまいました。
実はもうお金がなくて結構切羽詰まっていたことと、一挙に体を慣らさないと社会復帰は厳しいような切迫感もあって、そのキツイ勤務をこなしてしまったのですね。
一週間に4日です。
これは本当にキツかったです。
 
職場にはベテランの先輩がいまして、私よりも軽く10歳以上年上なのに、夜勤明けにテニスに行ってしまったりして、私はもうただただ唖然とするばかり。
でも、私も一年を経過した頃から余裕ができはじめ、その気持ちが分かるようになるのですが。
 
ともあれ、このスーパーの夜勤が私のその後の道筋を変えることになります。
ネットビジネスに取り組むキカッケがやって来るのです。
 
でも今日はここまで。
ネットビジネスまで届かなかったけれど、すでに長くなってしまったから。
続きは次回です。
いよいよ、立役者のベトナム人が登場です。
 
お読み下さり、ありがとうございました。