お金嫌いのためのお金儲けブログへようこそ。
前回は私が「なぜお金嫌いなのか」と題して、お金はこの頃可愛くて好きだけれど、
でも私は「お金嫌い」だという理由を書きました。
でも私は「お金嫌い」だという理由を書きました。
今回は自己紹介の第4弾、なぜこんな私が「お金」なのか、ということに触れてみます。
「お金」と「お金儲け」については、20代の頃コミュニケーションビジネスに取り組んで以来の懸案だった、と最初に書きました。
その頃のお金についての関心は、殆んど人間についての関心と同義でした。
なぜ人はお金を求めるのか。
お金の何がそんなに人を引き付けるのか。
それは私にとって、全く素朴な疑問だったのです。
お金の何がそんなに人を引き付けるのか。
それは私にとって、全く素朴な疑問だったのです。
それまでの私にとってお金とは、仕事の報酬としてついて来るものであって、
それ自体を求めるものではありませんでした。
それ自体を求めるものではありませんでした。
例えば、もし私がオペラ歌手であったとしましょう。
(実際には私は歌えない人なのですが。ただのスーパーマーケットの店員です。)
オペラ歌手の私の仕事はオペラに出演して歌を歌うことであって、
(実際には私は歌えない人なのですが。ただのスーパーマーケットの店員です。)
オペラ歌手の私の仕事はオペラに出演して歌を歌うことであって、
それだけを考えればいいわけですね。
そして仕事の成功とは、素晴らしい歌を歌うこと。
そして出演者として見事なオペラを作りあげること。
その時の自分の満足感、聴衆の満足感、そして評論家など業界の評価もあるかもしれませんが、
そして仕事の成功とは、素晴らしい歌を歌うこと。
そして出演者として見事なオペラを作りあげること。
その時の自分の満足感、聴衆の満足感、そして評論家など業界の評価もあるかもしれませんが、
ともかく仕事に対する自分と他人の満足度、それが全てだということです。
もちろん、ギャラは入ってきます。
私の歌がよい歌であればあるほど、ギャラはそれに比例して高くなるでしょう。
でもそれはあくまで評価に付随してくる「おまけ」みたいなものであって、目的ではありません。
目的は、あくまでもオペラ歌手としての私の仕事がレベルの高いものになることです。
私の歌がよい歌であればあるほど、ギャラはそれに比例して高くなるでしょう。
でもそれはあくまで評価に付随してくる「おまけ」みたいなものであって、目的ではありません。
目的は、あくまでもオペラ歌手としての私の仕事がレベルの高いものになることです。
私にとってお金とは、そのようなものでした。
ですので、お金だけをそこから抽出して得ることの意味が、よくわかりませんでした。
「お金を求める」とは、「仕事」をすっ飛ばしておまけだけを求めるような不思議な態度に思われました。
たとえ高額なおまけが手に入ったとしても、仕事の喜びや満足感がすっぽり抜け落ちているなら、
そこに何の良さがあるでしょう?
何の意味があるでしょう?
要するに、私にはダイレクトにお金を求める人たちの思考回路が見えなかったということです。
ところで最初に、私は20代の頃にコミュニケーションビジネスに携ったことがあると書きました。
その経験によって私が知ったことは、ビジネスとはあくまでも人の役に立ってナンボ、人に喜んでもらってナンボのものだということです。
「お金を儲ける」とは、そのこと自体が目的でありつつも、他人を幸せにすることの結果として得られるものだということ。
実はそこに「仕事」や「仕事の満足感」がすっ飛ばされていたわけではありませんでした。
「お金を儲ける」とは、そのこと自体が目的でありつつも、他人を幸せにすることの結果として得られるものだということ。
実はそこに「仕事」や「仕事の満足感」がすっ飛ばされていたわけではありませんでした。
してみると面白いことに、お金は人の幸せ感、満足感の間を流れていくわけです。
お金とはなんと不思議な物質であることか。
いや物質ではない、記号ですね。
お金はとりあえず貨幣という物質の形を取っているけれども、本当は単に数字なのですね。
数字の記号です。
お金とはなんと不思議な物質であることか。
いや物質ではない、記号ですね。
お金はとりあえず貨幣という物質の形を取っているけれども、本当は単に数字なのですね。
数字の記号です。
ですが記号であろうと何であろうとこれは人々のコミュニケーションが生み出すモノ、
人と人の間を流れる満足感や幸福感のやりとりに使われるモノなのです。
人と人の間を流れる満足感や幸福感のやりとりに使われるモノなのです。
不思議な不思議なツールですね。
これぞ正に人間が作り出したツール、「文化の化身」のようなツールだとわかります。
これぞ正に人間が作り出したツール、「文化の化身」のようなツールだとわかります。
で、もう一度今日のテーマですが、何で私が「お金」なのか。
先ほど私は書きました。
20代の頃、私がコミュニケーションビジネスをやっていた頃のお金についての関心は、
人間についての関心と殆んど同義であったと。
20代の頃、私がコミュニケーションビジネスをやっていた頃のお金についての関心は、
人間についての関心と殆んど同義であったと。
今はそれが少し広がって、この世界についての関心と同義になっています。
当たり前のことですけれど、お金(経済)を理解しないでこの世界を理解することは不可能なのです。
当たり前のことですけれど、お金(経済)を理解しないでこの世界を理解することは不可能なのです。
そして何で私がお金なのか、というと、やはり人間を理解したいからです。
その思いは今も変わりません。
この世界を理解するとは、人間を理解することに他ならないでしょう。
この世界を理解するとは、人間を理解することに他ならないでしょう。
恐らくはお金を理解しなければ、それらの理解は得られないとわかるから、
お金について知りたいのですね。
その意味でお金は全く神秘的な、不可思議な存在です。
その意味でお金は全く神秘的な、不可思議な存在です。
この世に生きる以上、この最大の謎?をスルーして生きて行くことは全く不自然なように思われます。
やはり、理解したいのですね。
その最大の謎を。
お金を。
そしてそのお金を求める人間を。
やはり、理解したいのですね。
その最大の謎を。
お金を。
そしてそのお金を求める人間を。
今日はだいぶ長くなりました。
次は、「それにしても何で唐突にネットビジネス始めたの?」ということについて、
書くつもりです。
それで、やっとこのブログもスタート地点に立てます。
状況説明が終わって、オペラがスタートするわけです。
今日もお読み下さり、ありがとうございました。