第2節 「神聖なるもの」という至上の価値と美徳を復興せよ(2)
本来、リーダーというものは、神聖でなければならないものでありました。少なくとも、神聖さというものを目差している姿勢というものが必要でありました。それは、政治家でもそうでありますし、経済人でもそうでありますし、教育家であってもそうであります。人を導くということは、これは聖職であります。人々に対して影響力があるということは、これは聖職であります。
従って、オピニオン・リーダーの方々は、すべからく神聖なるものを自ら体現しているかどうか、神聖なるものを自らが志向しているかどうかということを振り返らなければなりません。神聖さという観点から、私達は、新生日本に向けて、禊払いをしなければなりません。
あまりにもこの国は、エコノミックアニマルとなれるが如く、唯物的になり過ぎたのではないのか。バブルの時代があり、またバブルの時代が崩壊したこの日本というものを考えてみた時に、あまりにも神聖さというものを、その価値を忘れた日本人の哀れな姿があったのではないのか。それをよくよく考えていただきたいのです。
人間というものの本性というものは、神聖なるものであります。このような神聖なるものが国家に無いと、人間は、本当の意味での帰属意識を持つことは出来ませんし、本当の意味での尊敬の念を持つことも出来ません。また、公のために尽くすという志も、本当の意味で国家に尊厳がないと、国家に神聖さがないと持つことは出来ません。
政治家であっても、国家のために奉仕しようと思うのは、国家が神聖であるからです。財界の方であっても、国家を豊かにしようと思うのは、国家が神聖であるからです。教育家であっても、国家に有為な人材を育てようと思うのは、国家が神聖であるからです。
国家が神聖さを失った時に、やはりその国家も国民も堕落してゆくと言わざるを得ません。そして、その国家の中に生きる国民もまた、常に神聖なるものを志向してゆかなければいけません。常に己を修め、そして、神聖なる神に向けて、日々日々成長してゆくことを以って旨としてゆかなければなりません。これは当然のことであって、普通のことです。西洋の歴史を観ても、日本の歴史を観ても、また、西洋の現在を観ても、それは当然言えるのです。
アメリカでも、聖書に誓いをなして大統領が政務を執られます。ドイツでも、キリスト教民主党のような政党があります。ところが、この日本になってくると、余りにも過去の大東亜戦争のアレルギーから、政治の中に神聖なものを持ち込むということに対して非常にアレルギーがあります。しかしながら、それは、人間の本来の姿ではないということです。
ヘーゲルは、人類の持つべき価値について、宗教と哲学と芸術というものを挙げられました。新しき新生日本ルネサンスにおいても、日本独自の宗教、日本独自の哲学、日本独自の芸術というものが復興されてゆかなければなりませんし、それは、独自なものでありながら、同時に、世界的普遍性を持ったものを創造してゆかなければならないでしょう。
けれども、その日本独自の宗教ということを考えた時に、私達は、今現在、先入観をもって眺めている所の数々の新興宗教や、そうした人間を誤らせるようなもの、もしくは、常識から考えてもおかしなもの、こうしたものが宗教であるという観念、こうしたものを一掃しなければいけないのであります。
(つづく)