第2節 「神聖なるもの」という至上の価値と美徳を復興せよ(1)
真善美聖と申しますけれども、この聖というものは、何物にも替えがたい価値であります。あの富士の美しき頂の如く、この日本の奥には、「神聖なるもの」というものが存在する国であります。
この「神聖なるもの」というものを、本当の意味において尊重する所から、この日本国の本当の意味のルネサンスというものが始まってまいります。「神聖なるもの」というものは、同時に、真実なるものであり、真理に適ったものであり、また善きものであり、また美しきものであります。
神の神たる所以は、この神聖さにあります。私達は、神聖さという美徳を失った時に、本当の意味での「価値」というものを失ったといえるのであります。この日本国の精神の精髄もまた神聖さにあるのであり、また、天皇家を始めとする日本の伝統文化の源もまた神聖さにその真骨頂があるのであり、日の本の国民のその本来の神聖な姿もまた、その神聖さにこそ、本来の原点があったのであります。
日本国は、天照大御神、また、八百万の神々に対する信仰というものを、自然な感情として、神聖なるものを神聖なるものとして敬うが故の信仰として持っていたものであります。ですから、私達が新生日本を考えた時に、また、新生日本ルネサンスということを考えた時に、天意というものを、神聖なるものとして敬うという姿勢を持っておかなければなりません。
ここ数十年の日本の歴史を考えてみた時に、数多くの新興宗教が出来ており、宗教の名を語りながら、宗教の名に相応しくない所が数多くあったかのように思います。そして、現在、尚あるように思います。人々は、その悪い所ばかりをみて、本当は、人間は神聖なるものを志向する本性があるのだ、ということを忘れているように思います。
ですから、神聖なるものを忘れた人間というものは、本当に不幸な人間であります。人間が人間であるというその根拠は、そのような神聖なるものを感ずるという所にこそあるのであります。
ですから、政治の世界においても、経済の世界においても、教育の世界においても、様々な世界において、この神聖さという価値を失っているということは、これは、ある意味において、余りにも人間が即物的になり過ぎた堕落した姿であろうと思います。
(つづく)