第1節 永遠の自然法としての天意によって成り立つ国家日本

 

 

 新生ということは、一度生まれ変わって、新たなる命を得るということであります。その新たなる命を汲むべき所は何処にあるのかと申しますと、これ、やはり天命であると思うのであります。


 人間にしても、一度生まれ変わり、新生したならば、本当の人生の為に、天命を恭しく受けて始める所から始まってゆかなければならないと思うのであります。それこそが人生の原点となり、新生の原点となり、出発の原点となり、アルファとなり、また、ある面では、オメガとなってゆくべきものであろうと思います。


 従って、新生日本というものを考える時にあたっては、一度ゼロの原点に日本というものを置いた上で、新しく生まれ変わらなければならない。新しく生まれ変わる為には、やはり、天命を受くという気持ちが大切であります。


 過去の伝統や、遺産や、そうしたものを尊重するということは当然ながら、そうした恭しい態度を持ちながらも、今、天意が何処にあるのかということを、西洋哲学でいえば、時代精神が、今、何処にあるのかということを、よくよく忖度した上で、日本の舵切りを行ってゆかなければならないということであります。


 日本の歴史始まって以来、数千年の歴史がありますが、この国家の特徴は、まさしく神代をもっている所にあるのであり、まさしく古事記にみられる通り、そして、今もなお天皇制が残っている通り、また、その伝統が脈々と波打っている通り、天照大神の神勅による天孫降臨に基づいてこの国家の基本的な設計図が出来、そうした天意の下に、ここ数千年の日本の歴史というものがあったのであります。


 確かに、大東亜戦争による敗戦以降の歴史で、一見混乱したかのようにみえる日本の歴史観も、大局的にみれば、また復興運動が起き、また、その中で伝統を保つ方がいらっしゃり、数千年の国体というものは、一貫したものがあるのであります。


 すなわち、この日本という国は、天意によって守られてきた国である。天意によって導かれてきた国である。天意によって創造されてきた国である。その原点において、日本始まった時に天意があったということを、私達は深く知らなければなりません。


 日本の始まりにあったこの天意を疎かにする者は、やはり、愚かなる者と言わざるを得ません。この日本国は、人意によって成り立ったものではなく、天意によって成り立った国であるというのが、日本の自然法であります。


 日本の人定法が如何なるものであろうとも、日本が出来てから永遠にある所の日本精神に基づく自然法によって、日本国は、天意の意向によって存在する国であると、そういう神聖なる国家であると、このように考えてゆかなければならないのであります。


 かかる観点から新生日本ということを考えた時に、やはり、この国はまた、新たに天意というものを見出してゆかなければならない。天意を中心に据えた神聖な国というものを目差してゆかなければなりません。

 

(つづく)