ken2-shimamotoのブログ -5ページ目

ken2-shimamotoのブログ

ブログの説明を入力します。

疎開先での入浴はすぐ近くの家のもらい湯でした。屋外に据えられた五右衛門風呂です。小学校へあがる前のわたしでもいつも遠慮しながら入っていましたが、暑さもようやく終わろうとするその日はひと月ぶりにやってきた父と一緒だというので、とても心丈夫でした。西に傾いた太陽に照らされた美しい青空を見上げると別世界にいる気分です。そのとき、それまで黙っていた父がわたしの顔をまっすぐに見て、「日本は戦争に負けた」と声をかけてきました。わたしは温かいお湯の中から、「またやりかえしたら」とあっさり答えたのでした。疎開先での父との会話についての記憶はただそれだけです。


ken2-shimamotoのブログ-Image0003.JPG


ずっとあとになって、鉄工所の経営悪化と交通機関の混乱で父の和歌山通いもままならなかった、と聞きました。学校から帰ってくると家の中に父がすわっている、次の日に友達と下の川で泳いで戻ってくるともう大阪へ戻ってしまっていたという具合で、バス乗り場で出迎え、見送ることはまれだったとのことでした。


ken2-shimamotoのブログ-Image0006.JPG


父との会話をそのまま思い出すことができるのはそれ一度限りだとしても、疎開先で父がわたしに残してしてくれたものが色褪せることはありません。父はいつも「少年クラブ」の最新号を手にしてやってきました。渡されるのももどかしく開いては、小松崎茂のペン画にどれほど心動かされ、透明人間の物語にどれほど胸躍らされたことでしょう。付録についていたプロ野球選手の姿絵、船や幻燈の組立てなどは大切な宝物でした。それらを友達に見せるのもわたしの楽しみだったのは、もちろんです。



ken2-shimamotoのブログ-Image0004.JPG