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疎開先でわたしたちこどもにつらい思いをさせまいと、母はいつも忙しく立ち働いていました。食卓の準備や片づけ、衣類の洗濯や繕いはもちろんのこと、稲わらをなって草履をつくっていた姿も記憶しています。まれに行商に来る人から塩サバを買い、近所でうさぎがつぶされるとその肉をわけてもらったりするのを見たこともありました。母が一番苦労したのはもちろん毎日の食べ物のことだったでしょう。わたしたちこどもはそれを感じていましたので、乏しいなりにこんなものと割り切って明るく日々を過ごしていました。


わたしたちこどももわらびやイナゴ、たにしなどを持ち帰ったりして食卓の手助けをしていましたが、時期になると母がジャガイモの植え付けをしていたのをわたしはよく覚えています。ジャガイモをいくつかに切ってそれに灰をまぶして植えるのです。なぜ灰をかけるのかいつも不思議に思っていました。農作業に縁のなかった母がこれに力を入れていたのは、大阪にいたとき、腸炎を起こしたり、ジフテリヤに感染したわたしの命を支えたのがジャガイモだったことがその理由だと、わたしはいまでも思っています。


学校から帰るとまれに家の中がぱっと明るくなったような日がありました。母が娘時代に習い覚えた日本刺繍を近所の女の人に教える日です。刺繍台には黒繻子の帯が張られ、絹糸や金糸・銀糸でおたいこにあでやかな御所車が縫い上げられてゆきます。その日のお昼には、今なら何ということもありませんが当時は口にすることのないごちそうをお相伴し、それは御殿にも登ったような気分でした。母はいざという時のために刺繍台や針や糸、型紙などをわざわざ大阪からもってきていたのでした。


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