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ken2-shimamotoのブログ

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終戦の翌年に学校へあがることになりましたが、名前は国民学校のままでした。入学の日、「おうちの人に本にしていただきなさい」と字が印刷された大きな紙が配られ、また、銀色にキラキラ光る立派な板が渡されました。持って帰ると母はびっくりしながらも、紙を数枚に切り離して糸で綴じ、教科書に仕上げてくれました。金属板は戦闘機に使うはずのジュラルミンでできた下敷きでした。忘れようようとして忘れられないのがDDT散布で、白い粉を頭から振り掛けれられ、襟首から吹き込まれて体中粉だらけになってしまうという、消毒のためとはいえ何とも気持ちの悪いことでした。


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ようやく学校にもなれてきた翌年の年明け、受持ちの女の先生が、「+日は都合で自習になりますから、そのおつもりでいてくださいね」と前置きして、事細かにその日の要領を指示されます。これまで有無を言わせずわたしたちを率いてこられた先生のどこを押せばこのような優しげな心遣いがでてくるのだろうと思いました。ところが周到に準備された「+日」の自習は、なぜか不要になりました。「+日」の授業は平常どおり行われたのです。かなりの年月ののち、わたしの奥底に眠っていたこの記憶が、戦後史の一大事件二・一ゼネストの現場を先生からこの目で見せられたものとわかりました。


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3年生に進級しますと担任の先生は、わたしには昼間であれ、夜であれ、学校へ行きさえすればそこにいる頼りになる父親であり、兄貴分になります。さわやかな顔立ちと光輝くまなざしをもったこの若い先生は、木造の粗末な校舎の宿直室で夜のふけるまで、外地の前線で戦ってきた想像もしなかったきびしい戦争の体験を話されるのです。いつしかそれが人間として心掛けるべき教えへと発展します。そして最後を、当時流行していた「かえり船」、”波の背の背に・・・” でしめくくられました。わたしは自然に覚えてしまい、夜の宿直室での先生からの贈り物としてこの歌をいまでも大切にしています。



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