実家の本を整理していたらなんだかすごい本を見つけてしまいました
井沢実さんという方の『スペイン語入門』(中公新書)。
学生時代、第二外国語がスペイン語だったので、懐かしく手にとって読み始めたところ、これがなかなか面白い
『入門』とあるけど、最後の問題を解くには、1年くらい学んでいないと難しいかも
ですが、スペイン語の学習書としてだけでなく「読み物」として読めちゃうんです
井沢さんは外務省時代にスペイン、ポルトガル、アルゼンチン、ウルグヮイ、フィリピン、メキシコ、グヮテマラ、エル・サルバドル、ホンジュラス、ニカラグヮ、コスタ・リカ、パナマ、エクヮドル、ペルー、キューバという多くの国に滞在した経験があり、その経験をもとに、スペイン語の成り立ちとか、スペイン人気質など、思わずニヤリとさせられるようなエピソードがちりばめられていて、スペイン語を学びたくなる『入門書』になっています。
スペイン語は、ほとんどローマ字読みで、文頭のRと文中のrrを巻き舌の発音にして読めば、『それらしく』聞こえるので、学生時代は「楽勝
」と思っていたけど、久しぶりに声に出して読むと、どうしてもフランス語読みの影響を受けてしまう
フランス語のことを忘れて、スカッとローマ字読みに徹すればよいのだろうけど、脳がせっかく覚えたフランス語の発音を忘れまいと邪魔しているような気がする。。
フランス語を始めとするラテン語圏のネイティブスピーカーも母語の影響を受けるのだろうか
それとも、母語を忘れるはずはないのだから、スカッとローマ字読みに徹することができるのだろうか

Lección 0. 南蛮渡来
1543年の夏、大隈ノ国種子島に1隻の大きな船が漂着した。
―― どこの国からきたのか、船客100人あまり、その形は類なく、ことばは通ぜず、かれらを見たものは口々に奇怪だといった。かれらのなかに大明(中国)の書生で五峯というものがいたので、……種子島の人びとは砂上に棒で文字を書き、船客はどこの国のものか、なんとけったいな形をしているではないかとたずねたところ、五峯も砂上に文字を書いて、かれらは西南蛮の種族の商人であると答えた。……商人のチーフは2人いて、1人は牟良叔舎(むらしゃ)、1人は喜利志多佗孟太(きりしただもた)といい、手に一物を携えていた。長さ2,3尺くらいのもので、まっ直ぐで、なかに穴があいているのがミソである。この穴に妙薬を入れ、小団鉛をつめ、海岸のかなたに的をおき、……目をすかして、その穴から火を放つと、たちどころに命中せざるはない。……時尭(ときたか)は、値段はいくら高くてもいいからといって買いとり、この蛮種の鉄砲を家宝とした――。
Lección 1. 南蛮風日本語
だが、日本とPortugalの関係は100年たらず、Españaとの関係は50年あまりという、ごくわずかの期間であった。そして、いわゆる南蛮風俗は、ようやく鎖国の夢をむすぼうとしていた日本の一時期を妖しいまでに華美にいろどったばかりで、やがて幻のごとく消えていったかにみえる。
[・・・]
けれどもこの間、los japonesesが、かれら南蛮人からうけた刺激と影響とは、いがいに大きなものがあったのであって、それは鉄砲と、キリスト教と、梅毒ばかりでなく、重要な文化遺産が300余年をへだてた現在でもなお生きつづけている。
「さあ、おたちあい……てれまんていか、まんていか」とガマの油売りは口上を述べて、マンテカmanteca(バター)というスペイン語をしゃべっているが、異民族との接触・交渉は、一般におたがいのことばの貸し借りをさかんにするものである。
たとえば、南蛮人に仲介されて日本語に同化されきったポルトガル・スぺイン系のことばだけでも、おそらく400語は下るまい。その陳腐な語例は、北原白秋のいくつかの詩でも見れば、すぐ拾えるはずで、「びろうど」、「シャボン」、「マント」、「びーどろ」、「かるた」、「かすてら」、「ザボン」などという南蛮渡来のことばの組合せが、一種の異国風な気分をその作品にかもしだしている。
Lección 2. ぽるつがる・い・えすぱにや
結局、ポルトガル語というのは、ラテン語→スペイン語の過程で分岐したことばで、ポルトガル語とスペイン語はいうなれば一卵性双生児である。
[・・・]
現在の la lengua inglesaというものは、インペリオ・ロマーノimperio romano(ローマ帝国)のブリタニア(英国)支配が、アングロ・サクソン族にとってかわられてからの、およそ300年のあいだにその基礎が形づくられ、さらに9世紀以後に暴発した第2の民族大移動――ノルマンの侵冠によってエル・ラティンel latín(ラテン語)の影響を画期的にこうむったものである。
[・・・]
『椿姫』の作者アレクサンドル・デュマ(息子の方)がel inglésを習いはじめたとき、
「これは驚いた。英語とはたんにフランス語を不正確に発音しただけではないか!」などと放言したのも、ゆえなしとしないわけだ。
El latínを1つの巨木にたとえれば、el francés, el italiano, el rumano, el portugués y el español などのロマンス語は、いわばその幹から生えた枝で、もとがゲルマン系のel inglésは、el latínという巨木の接木である。
その証明のような面白い逸話が紹介されています
八代将軍吉宗の儒官新井白石は、東京小石川のキリシタン屋敷で、ある外人神父を訊問したことがある。それはシドッチというイタリア人でフィリピンでel idioma japonés(日本のことば)を習い、日本の衣服をまとって腰に大小を帯び、小判を懐にして屋久島にたどりつき、百姓に1ぱいの水を所望して小判1枚をくれてやったところ、大いにあやしまれ、江戸に連行されてきたのである。
かれはel japonに憧れてせっかくel idioma japonésを習ったものの、el Japónは鎖国してすでに67年をへている。だから、訊問のさい、神の教えだの、世界の大勢だの、こみいった説明をして弁明をするのに困惑してしまった。
そこでシドッチがel latínを話すと、オランダの商館員がこれをオランダ語に通弁し、それをさらにオランダ語通辞がel japonésに翻訳したのであった。
このときの訊問記録は、『采覧異言(さいらんいげん)』や『西洋紀聞』にまとめられているが、白石の西洋についての理解力はかなり的確であったことがうかがわれて、なかなかおもしろく、たとえば、「古巴島・島在花地南海中」などと記している。「古巴島」はキューバ島であるが、「花地」とは、フロリダfloridaが<花咲きたる>という形容詞なので、フロリダ半島のことを訳出したものである。
Lección 3. お城王国のことば
Dios hace salir el sol sobre los buenos y sobre los malos.
――神は善人と悪人のうえに太陽を照らせる
Españaの原住民は、バスク地方より発して南東に流れ、バルセローナ南方で海に入るエブロ河の沿岸に住んでいたので、エブロEbroをなまってイベロ族iperoと称された。España y Poetugalの位置する半島が、イベリア半島la península de Iberiaとよばれるゆえんである。
Lección 4. スペイン語の成立
[・・・]アントニオ・デ・ネブリハ Antonio de Nebrijaという、当時のヨーロッパ第一流の古典学者がいた。かれは、ミゲル・デ・セルバンテス Miguel de Cervantesの生地アルカラー・デ・エナーレス Alcalá de Henaresの大学で講じ、多国語聖書の翻訳の一部を担当したり、ラテン語のdiccionarioを編纂したりした。1500年に出版されたかれのラテン文典のフランス語訳はフランスで初めてのラテン文典となった。
[・・・]ネブリハのla gramáticaは、のちのセルバンテスの傑作『ドン・キホーテ Don Quijote』とともに、スペイン語の形成過程で、きわめて大きな役割をはたしたといわなければならない。
[・・・]
フェリペ三世が、一日、宮殿からマンサナーレス川の方を眺めていると、岸辺に寝転んで本を読んでいる男がさもおかしさにたえぬふうをしているのが目に入り、「かれは、たぶん、ドン・キホーテを読んでいるにちがいない」と語ったという。
[・・・]
『Don Quijote』は、翻訳の数からいえば、聖書についでおおく、その各国版はマドリッドの国立図書館内の独立した部屋に収蔵されているほどである。
しかし、スペイン語で読めば巻を措くあたわざる面白さにひきこまれるこの傑作も、la lengua extranjeraに翻訳されてはスペイン語の味と匂いが消えてしまうので、最後まで読みとおしたものがどれほどいるか疑問とされている。
Don Quijoteが水車と戦うなどという話は、世界中のロス・チコスlos chicos(子どもたち)でも知らぬものはいないほどだが、この世界文学の最高峰が実際に読まれている程度といえば、わが国で『源氏物語』が実際に読まれている程度と似たようなものであろう。スペイン語を習うものは、その最終目標として、原文で『Don Quijote』を読むようでなければならないと思われる。
Lección 5. ラテン・リズムで発音を
Más vale tarde que nunca.
――遅れても、しないよりはましだ
著者は、この章で「ベサメ・ムーチョ」をはじめに紹介し、『boleroでも歌って、発音に、いや、スペイン語そのものに慣れていこう」と書いています
Historia de un amor
Carlos Almarán
Ya no estás más a mi lado corazón;
en el alma sólo tengo soledad
y si yo no puedo verte por qué Dios me hizo quererte
para hacerme sufrir más.
Siempre fuiste la razón de mi existir;
adorarte, para mí fue religión
y en tus besos yo encontraba
el calor que me brindaba
el amor y la pasión.
Es la historia de un amor
como no hay otro igual,
que me hizo comprender
todo el bien todo el mal,
que le dió luz a mi vida
apagándola después.
Ay, qué vida tan oscura sin tu amor no viviré.
ある恋の物語
カルロス・アルマラン
もうここにはいない君よ
わたしの心には孤独があるばかり
君にあえないのに
神はわたしをいっそう苦しめるために
君を愛させたのだ
いつもわたしの命であった君よ
君を熱愛することはわたしの信仰であった
君の接吻には愛と情熱のもたらす
ぬくもりを感じた
これは、ほかにまたとない
恋の物語だ
よきも悪しきもすべて
わたしに悟らせてくれた
わたしの命に光をあたえ
あとからそれを消してしまった
こんな暗い人生を、君の愛なくしてどうして生きられよう
Historia De Un Amor Laura Fygi
Lección 12. 南米への旅
Quien no se arriesga no pasa la mar.
――危険をおかさないものは海を渡れぬ
南米には、母方の親戚が移住して、一世はすでにその土地に骨を埋めているので、いつかは行ってみたいという憧れの気持ちと、行ったこともないのになぜか郷愁を感じます。
筆者の井沢実さんは、キューバ滞在中にアーネスト・ヘミングウェイの家を訪れ、インタビューをしたようです。
El puerto de Habana, Cuba, es el punto de reunión de los buques de tesoro de Veracruz y de los que traian oro y plata qnviado a través del istmo de Panamà. La riqueza del nuevo mundo fué llevada a Europa por un covoy formado en este puerto, a pesar de haber sufrido staque de los piratas ingleses.
キューバのハバナ港は、ベラクルスからの宝船と、パナマ地域を通って運ばれてきた金銀運搬船が合流するところで、新大陸の冨はここで組まれた船隊によってヨーロッパへ流され、ためにしばしばイギリス人の襲撃をこうむった。
ハバナ港口の両岸には要塞がきずかれ、背後の丘上にはとりでがもうけられたが、このとりでの一角にアーネスト・ヘミングウェイが住んでいた。庭がひろく、20匹あまりの猫が木の上で遊んでいたが、ヘミングウェイの姿をみるとぞろぞろと降りてきて、てんでに身をすりよせてきた。
かれとウィスキーを飲みながら、スペイン内乱のこととか日本語訳のこととか、あるいは、ノーベル賞受賞の論議の対象となった『老人と海』の釣の話から日本人の北崎という人に釣の奥義を伝授されたことなどが話題となった。
― ¿ Por qué no fué al Japón ?
Hemingway contestó a esta pregunta mia en la siguiente forma;
― Yo habia ido hasta Shanghai via Europa. Pero no me apeteció un viaje al Japón, el pais que se ocupaba en aquel tiempo en una guerra imperialista.
「日本へはなぜ行かなかったのですか?」の問いに対してヘミングウェイは次のように答えた。「ヨーロッパをまわって上海まで行きましたが、当時の日本は帝国主義的戦争をおこなっていたので、ついに日本に行く気がしませんでした」
Cubaは、その半分以上が珊瑚礁の上にあって地味は肥え、雨量が多いので、砂糖栽培にはもってこいである。サッカリンの販売が禁じられていて、糖尿病の人はどうするかといえば、医者の診断書があれば入手できるということであるが、かつてわたしはインドのマドラスという禁酒の州に行って、知恵をしぼったあげく、医者に「アルコール中毒症」という診断書をもらって薬屋にブランデーを買いに行ったことを思いだし、キューバのサッカリンはマドラスの酒と同工異曲だわいと感じいったことである。Azúcarとsacarina(サッカリン)というぐあいで語源はともにアラビア語である。
わたしは、本書において、スペイン語の美しさと、スペインのすぐれた文化――全人類のために新しい世界を築いた輝かしい歴史とについて、さらに詳しくいいたかった点を多々逸したように思う。じっさい、スペインは、最高のヨーロッパ文化と偉大な東洋文化とのアマルガムである。
しかし、この『スペイン語入門』によって、みなさんが、そのようなスペインを背景とした、深奥な、また異質な世界を多少とも理解していただけたなら幸いである。
ドン・キホーテのテーマ
ミゲールの思考

井沢実さんという方の『スペイン語入門』(中公新書)。
学生時代、第二外国語がスペイン語だったので、懐かしく手にとって読み始めたところ、これがなかなか面白い

『入門』とあるけど、最後の問題を解くには、1年くらい学んでいないと難しいかも
ですが、スペイン語の学習書としてだけでなく「読み物」として読めちゃうんです

井沢さんは外務省時代にスペイン、ポルトガル、アルゼンチン、ウルグヮイ、フィリピン、メキシコ、グヮテマラ、エル・サルバドル、ホンジュラス、ニカラグヮ、コスタ・リカ、パナマ、エクヮドル、ペルー、キューバという多くの国に滞在した経験があり、その経験をもとに、スペイン語の成り立ちとか、スペイン人気質など、思わずニヤリとさせられるようなエピソードがちりばめられていて、スペイン語を学びたくなる『入門書』になっています。
スペイン語は、ほとんどローマ字読みで、文頭のRと文中のrrを巻き舌の発音にして読めば、『それらしく』聞こえるので、学生時代は「楽勝
」と思っていたけど、久しぶりに声に出して読むと、どうしてもフランス語読みの影響を受けてしまう
フランス語のことを忘れて、スカッとローマ字読みに徹すればよいのだろうけど、脳がせっかく覚えたフランス語の発音を忘れまいと邪魔しているような気がする。。
フランス語を始めとするラテン語圏のネイティブスピーカーも母語の影響を受けるのだろうか

それとも、母語を忘れるはずはないのだから、スカッとローマ字読みに徹することができるのだろうか


Lección 0. 南蛮渡来
1543年の夏、大隈ノ国種子島に1隻の大きな船が漂着した。
―― どこの国からきたのか、船客100人あまり、その形は類なく、ことばは通ぜず、かれらを見たものは口々に奇怪だといった。かれらのなかに大明(中国)の書生で五峯というものがいたので、……種子島の人びとは砂上に棒で文字を書き、船客はどこの国のものか、なんとけったいな形をしているではないかとたずねたところ、五峯も砂上に文字を書いて、かれらは西南蛮の種族の商人であると答えた。……商人のチーフは2人いて、1人は牟良叔舎(むらしゃ)、1人は喜利志多佗孟太(きりしただもた)といい、手に一物を携えていた。長さ2,3尺くらいのもので、まっ直ぐで、なかに穴があいているのがミソである。この穴に妙薬を入れ、小団鉛をつめ、海岸のかなたに的をおき、……目をすかして、その穴から火を放つと、たちどころに命中せざるはない。……時尭(ときたか)は、値段はいくら高くてもいいからといって買いとり、この蛮種の鉄砲を家宝とした――。
「鉄砲記」より
Lección 1. 南蛮風日本語
だが、日本とPortugalの関係は100年たらず、Españaとの関係は50年あまりという、ごくわずかの期間であった。そして、いわゆる南蛮風俗は、ようやく鎖国の夢をむすぼうとしていた日本の一時期を妖しいまでに華美にいろどったばかりで、やがて幻のごとく消えていったかにみえる。
[・・・]
けれどもこの間、los japonesesが、かれら南蛮人からうけた刺激と影響とは、いがいに大きなものがあったのであって、それは鉄砲と、キリスト教と、梅毒ばかりでなく、重要な文化遺産が300余年をへだてた現在でもなお生きつづけている。
「さあ、おたちあい……てれまんていか、まんていか」とガマの油売りは口上を述べて、マンテカmanteca(バター)というスペイン語をしゃべっているが、異民族との接触・交渉は、一般におたがいのことばの貸し借りをさかんにするものである。
たとえば、南蛮人に仲介されて日本語に同化されきったポルトガル・スぺイン系のことばだけでも、おそらく400語は下るまい。その陳腐な語例は、北原白秋のいくつかの詩でも見れば、すぐ拾えるはずで、「びろうど」、「シャボン」、「マント」、「びーどろ」、「かるた」、「かすてら」、「ザボン」などという南蛮渡来のことばの組合せが、一種の異国風な気分をその作品にかもしだしている。
Lección 2. ぽるつがる・い・えすぱにや
結局、ポルトガル語というのは、ラテン語→スペイン語の過程で分岐したことばで、ポルトガル語とスペイン語はいうなれば一卵性双生児である。
[・・・]
現在の la lengua inglesaというものは、インペリオ・ロマーノimperio romano(ローマ帝国)のブリタニア(英国)支配が、アングロ・サクソン族にとってかわられてからの、およそ300年のあいだにその基礎が形づくられ、さらに9世紀以後に暴発した第2の民族大移動――ノルマンの侵冠によってエル・ラティンel latín(ラテン語)の影響を画期的にこうむったものである。
[・・・]
『椿姫』の作者アレクサンドル・デュマ(息子の方)がel inglésを習いはじめたとき、
「これは驚いた。英語とはたんにフランス語を不正確に発音しただけではないか!」などと放言したのも、ゆえなしとしないわけだ。
El latínを1つの巨木にたとえれば、el francés, el italiano, el rumano, el portugués y el español などのロマンス語は、いわばその幹から生えた枝で、もとがゲルマン系のel inglésは、el latínという巨木の接木である。
その証明のような面白い逸話が紹介されています

八代将軍吉宗の儒官新井白石は、東京小石川のキリシタン屋敷で、ある外人神父を訊問したことがある。それはシドッチというイタリア人でフィリピンでel idioma japonés(日本のことば)を習い、日本の衣服をまとって腰に大小を帯び、小判を懐にして屋久島にたどりつき、百姓に1ぱいの水を所望して小判1枚をくれてやったところ、大いにあやしまれ、江戸に連行されてきたのである。
かれはel japonに憧れてせっかくel idioma japonésを習ったものの、el Japónは鎖国してすでに67年をへている。だから、訊問のさい、神の教えだの、世界の大勢だの、こみいった説明をして弁明をするのに困惑してしまった。
そこでシドッチがel latínを話すと、オランダの商館員がこれをオランダ語に通弁し、それをさらにオランダ語通辞がel japonésに翻訳したのであった。
このときの訊問記録は、『采覧異言(さいらんいげん)』や『西洋紀聞』にまとめられているが、白石の西洋についての理解力はかなり的確であったことがうかがわれて、なかなかおもしろく、たとえば、「古巴島・島在花地南海中」などと記している。「古巴島」はキューバ島であるが、「花地」とは、フロリダfloridaが<花咲きたる>という形容詞なので、フロリダ半島のことを訳出したものである。
Lección 3. お城王国のことば
Dios hace salir el sol sobre los buenos y sobre los malos.
――神は善人と悪人のうえに太陽を照らせる
Españaの原住民は、バスク地方より発して南東に流れ、バルセローナ南方で海に入るエブロ河の沿岸に住んでいたので、エブロEbroをなまってイベロ族iperoと称された。España y Poetugalの位置する半島が、イベリア半島la península de Iberiaとよばれるゆえんである。
Lección 4. スペイン語の成立
[・・・]アントニオ・デ・ネブリハ Antonio de Nebrijaという、当時のヨーロッパ第一流の古典学者がいた。かれは、ミゲル・デ・セルバンテス Miguel de Cervantesの生地アルカラー・デ・エナーレス Alcalá de Henaresの大学で講じ、多国語聖書の翻訳の一部を担当したり、ラテン語のdiccionarioを編纂したりした。1500年に出版されたかれのラテン文典のフランス語訳はフランスで初めてのラテン文典となった。
[・・・]ネブリハのla gramáticaは、のちのセルバンテスの傑作『ドン・キホーテ Don Quijote』とともに、スペイン語の形成過程で、きわめて大きな役割をはたしたといわなければならない。
[・・・]
フェリペ三世が、一日、宮殿からマンサナーレス川の方を眺めていると、岸辺に寝転んで本を読んでいる男がさもおかしさにたえぬふうをしているのが目に入り、「かれは、たぶん、ドン・キホーテを読んでいるにちがいない」と語ったという。
[・・・]
『Don Quijote』は、翻訳の数からいえば、聖書についでおおく、その各国版はマドリッドの国立図書館内の独立した部屋に収蔵されているほどである。
しかし、スペイン語で読めば巻を措くあたわざる面白さにひきこまれるこの傑作も、la lengua extranjeraに翻訳されてはスペイン語の味と匂いが消えてしまうので、最後まで読みとおしたものがどれほどいるか疑問とされている。
Don Quijoteが水車と戦うなどという話は、世界中のロス・チコスlos chicos(子どもたち)でも知らぬものはいないほどだが、この世界文学の最高峰が実際に読まれている程度といえば、わが国で『源氏物語』が実際に読まれている程度と似たようなものであろう。スペイン語を習うものは、その最終目標として、原文で『Don Quijote』を読むようでなければならないと思われる。
Lección 5. ラテン・リズムで発音を
Más vale tarde que nunca.
――遅れても、しないよりはましだ
著者は、この章で「ベサメ・ムーチョ」をはじめに紹介し、『boleroでも歌って、発音に、いや、スペイン語そのものに慣れていこう」と書いています

Historia de un amor
Carlos Almarán
Ya no estás más a mi lado corazón;
en el alma sólo tengo soledad
y si yo no puedo verte por qué Dios me hizo quererte
para hacerme sufrir más.
Siempre fuiste la razón de mi existir;
adorarte, para mí fue religión
y en tus besos yo encontraba
el calor que me brindaba
el amor y la pasión.
Es la historia de un amor
como no hay otro igual,
que me hizo comprender
todo el bien todo el mal,
que le dió luz a mi vida
apagándola después.
Ay, qué vida tan oscura sin tu amor no viviré.
ある恋の物語
カルロス・アルマラン
もうここにはいない君よ
わたしの心には孤独があるばかり
君にあえないのに
神はわたしをいっそう苦しめるために
君を愛させたのだ
いつもわたしの命であった君よ
君を熱愛することはわたしの信仰であった
君の接吻には愛と情熱のもたらす
ぬくもりを感じた
これは、ほかにまたとない
恋の物語だ
よきも悪しきもすべて
わたしに悟らせてくれた
わたしの命に光をあたえ
あとからそれを消してしまった
こんな暗い人生を、君の愛なくしてどうして生きられよう
Historia De Un Amor Laura Fygi
Lección 12. 南米への旅
Quien no se arriesga no pasa la mar.
――危険をおかさないものは海を渡れぬ
南米には、母方の親戚が移住して、一世はすでにその土地に骨を埋めているので、いつかは行ってみたいという憧れの気持ちと、行ったこともないのになぜか郷愁を感じます。
筆者の井沢実さんは、キューバ滞在中にアーネスト・ヘミングウェイの家を訪れ、インタビューをしたようです。
El puerto de Habana, Cuba, es el punto de reunión de los buques de tesoro de Veracruz y de los que traian oro y plata qnviado a través del istmo de Panamà. La riqueza del nuevo mundo fué llevada a Europa por un covoy formado en este puerto, a pesar de haber sufrido staque de los piratas ingleses.
キューバのハバナ港は、ベラクルスからの宝船と、パナマ地域を通って運ばれてきた金銀運搬船が合流するところで、新大陸の冨はここで組まれた船隊によってヨーロッパへ流され、ためにしばしばイギリス人の襲撃をこうむった。
ハバナ港口の両岸には要塞がきずかれ、背後の丘上にはとりでがもうけられたが、このとりでの一角にアーネスト・ヘミングウェイが住んでいた。庭がひろく、20匹あまりの猫が木の上で遊んでいたが、ヘミングウェイの姿をみるとぞろぞろと降りてきて、てんでに身をすりよせてきた。
かれとウィスキーを飲みながら、スペイン内乱のこととか日本語訳のこととか、あるいは、ノーベル賞受賞の論議の対象となった『老人と海』の釣の話から日本人の北崎という人に釣の奥義を伝授されたことなどが話題となった。
― ¿ Por qué no fué al Japón ?
Hemingway contestó a esta pregunta mia en la siguiente forma;
― Yo habia ido hasta Shanghai via Europa. Pero no me apeteció un viaje al Japón, el pais que se ocupaba en aquel tiempo en una guerra imperialista.
「日本へはなぜ行かなかったのですか?」の問いに対してヘミングウェイは次のように答えた。「ヨーロッパをまわって上海まで行きましたが、当時の日本は帝国主義的戦争をおこなっていたので、ついに日本に行く気がしませんでした」
Cubaは、その半分以上が珊瑚礁の上にあって地味は肥え、雨量が多いので、砂糖栽培にはもってこいである。サッカリンの販売が禁じられていて、糖尿病の人はどうするかといえば、医者の診断書があれば入手できるということであるが、かつてわたしはインドのマドラスという禁酒の州に行って、知恵をしぼったあげく、医者に「アルコール中毒症」という診断書をもらって薬屋にブランデーを買いに行ったことを思いだし、キューバのサッカリンはマドラスの酒と同工異曲だわいと感じいったことである。Azúcarとsacarina(サッカリン)というぐあいで語源はともにアラビア語である。
わたしは、本書において、スペイン語の美しさと、スペインのすぐれた文化――全人類のために新しい世界を築いた輝かしい歴史とについて、さらに詳しくいいたかった点を多々逸したように思う。じっさい、スペインは、最高のヨーロッパ文化と偉大な東洋文化とのアマルガムである。
しかし、この『スペイン語入門』によって、みなさんが、そのようなスペインを背景とした、深奥な、また異質な世界を多少とも理解していただけたなら幸いである。
Señores lectores, Hasta la vista.
Muchas gracias por los poemas de Gabriela Mistral.

ドン・キホーテのテーマ
ミゲールの思考
バスク系チリ人