邪馬台国と女王卑弥呼
(その18)
2021.04.30
萩原行政書士事務所
〇三角縁神獣鏡に注目
この鏡に注目する考古学者には大和説を取る論者が多い。
――富岡謙蔵(とみおかけんぞう)氏は、後漢の時代の銅鏡が北九州に多く見られ、三国時代の銅鏡が近畿地方を中心に分布することを指摘し、後漢の時代の日本の中心は北九州にあったが、三国時代の倭国を治めた邪馬台国は大和であるとの説を取った。
――三角縁神獣鏡は邪馬台国に大量に与えられ、卑弥呼及び子孫はその一部を各地の首長に配った。それは近畿地方に多く出土し、北九州をはるかに凌ぐものになっている。鏡の分布で見る限り邪馬台国は大和以外の地にはあり得ないとの理由からなのです。
〇黒塚古墳が大和説か九州説を解決したか?
――平成10年(1998年)、天理市黒塚古墳が発掘され33面の鏡が出土した。
これまで出土した32面(椿井大塚山古墳)より1面多いことで注目されたこの古墳は、紀元280年頃のものとみられ、被葬者は女王台与と同世代の人物で、卑弥呼が活躍した時代にも生きていたと考えられる。
三角縁神獣鏡を邪馬台国が魏からもらった銅鏡と見れば、この古墳の被葬者が邪馬台国の要人で多くの鏡を保有していたと考えられることになる。
――しかしながら、この説の反論として、本家の中国本土では三角縁神獣鏡が一つも見つかっていないという事実で、その銅鏡が中国産と推測するには大きな疑問が残ってしまうのです。
黒塚古墳と同型の銅鏡は全国の4~5世紀の古墳で多く見つかるし、椿井大塚山古墳の三角縁神獣鏡の分布は更に広い。
このようなことから、三角縁神獣鏡は3世紀末以降長期にわたって大和政権が地方の首長に配るために作った銅鏡であるとする考え方がより妥当なようにも思える。
今日はここまでです。 ではまたお会いしましょう。

