邪馬台国と女王卑弥呼

(その17)

 

2021.04.28

萩原行政書士事務所

 

 

 

〇日程か方位か

 

――邪馬台国は大和か九州か。この点についての和歌森太郎氏の説は面白い。

氏は中国の書物に見える日本地図を紹介しているが、それはたいそうおかしな形の日本の姿であった。

中国人が作成したものも、それをもとにして西洋人が描いたものも、すべて日本を南北に

長く連なる島々とみていたのだ。

つまり、日本の地図は東西方向ではなく、北九州を起点にしてそこから長く南にのびる国とされていたのです。

 

――氏は大和説を取り、奈良県の箸墓古墳が卑弥呼の墓かもと推測している。

「日本書紀」にみえる倭迹々日百襲姫(やまとととひももそひめ)に注目し、この姫は神々を祭って崇神天皇を助けたと伝えられ、そういった役割は卑弥呼と同一であるうえ、姫の墓が箸墓古墳であるからなのです。

しかし、研究が進むにつれ、箸墓古墳は卑弥呼の時代より約50年後のものと考えられるようになってきた。

 

〇水行10日の意味

 

――中国の古文研究者、謝銘仁(しゃめいじん)氏は、魏志倭人伝の読みによって九州説を打ち出した。

倭人伝の日数は、使者が実際に費やした総日数を伝えるものだという。

 

――「水行10日程」なら水上を10日進む距離だが、「水行10日」は船で10日行くことを示す。当時の役人の旅行は極めてのんびりしたものだった。あちこちで祭りを行って休んだり、旅行中に休みを取ったりする。

しかも多人数の行列の進行はたいそうのろい。

 

――こういった点を勘案すると、「水行10日」で表現される距離は余り長いものではないと考えられる。

また、太陽の位置で方向を確認しながら移動する中国の使者が、「南」と「東」とを誤るわけがない、と考えて九州説を取ったのです。

 

 

 

今日はここまでです

ではまた

 

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東京都世田谷区在住

萩原行政書士事務所

行政書士 萩原伸一

E-mail: visa.hagi@gmail.com

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