邪馬台国と女王卑弥呼
(その14)
2021.04.16
萩原行政書士事務所
〇卑弥呼の死のいきさつ
――ここでもう一度「魏志倭人伝」の記事を見直してみましょう。
問題のポイントとなるのは、読み下し文で示すと、「・・・卑弥呼以死し、・・・」のところです。
訓読みですと「以」の字を「もって」と読みたくなるので、「卑弥呼は中国の使者張政が来たことをもって死んだ」とする「卑弥呼暗殺説」に連なっていくことになる。
しかし漢文の語法では、「以」の字の下に何かの原因になるものがくる場合でなければ、「以」を「もって」とは読まない。つまり、「卑弥呼以病死」なら「卑弥呼、病をもって死す」となる。ところが、ここの「病」と同じ役割を持つ語がない場合には、「以」の字は「もって」ではなく「すでに」になる。
――そうすると、張政が日本についた時には、卑弥呼はもうすでに他界していたということになる。
ゆえに、魏志倭人伝の記事に従う限り張政が卑弥呼を暗殺することは不可能であったということになる。
〇後継者の台与
――卑弥呼の死後について、魏志倭人伝は次のように記している。
「卑弥呼の死後、その後後継者として男の王が立てられた。」しかし、倭国の有力者たちが彼に従わず、そのため武力に訴える争乱が起こり、ついには千余人の犠牲者を出すまでになった。そのため、卑弥呼の宗女である台与が王位を継いだ。
彼女は13歳であった。
台与が立ったことにより、ようやく倭国内に平和がよみがえった。
張政は檄文を渡し、新しい女王台与に魏の意図を示した。」
――これによれば、中国の使者張政は卑弥呼の死後の混乱のさなかに日本についたことになる。かれは、台与が立って邪馬台国の政局が安定するまで何もできなかった。
そして、台与に檄文を与えることによって、ようやく邪馬台国と狗奴国との争いを鎮めることができたのである。
――因みに、「宗女」とは、中国の文献によく出てくる語で、同じ宗族の助成を指す。
なお、宗族については日本に帰化した四川省出身の元中国人である石 平(せきへい)氏が
詳しく解説した本を出していて、中国のすべての根本には宗族があると言っても間違いがないと述べています。
――卑弥呼と台与は親子でも養子関係でもなく、ましてや自動的に卑弥呼の地位を継ぐべき立場でもない。しかし卑弥呼のあとに台与が後継者になったことで、邪馬台国の政情が安定し平和になったことから見て、卑弥呼と台与の二人を出した家が霊感を持つ者を多く出す巫女を職業とする家であったろうと見るのがより自然かなと思います。
――卑弥呼は、専制的支配を行った権力者ではなかった。彼女は国をまとめるために立てられた祭司に過ぎなかったと言えるでしょう。
――卑弥呼暗殺事件について色々考えてみると、暗殺をして得をしたものは見当たらないことから、暗殺はあったともいえるが、なかったとも言えます。
普通に考えれば、卑弥呼が247年の段階でかなり高齢になっていたことからみて、彼女は病死であったとするのが、より自然ではないかと思うのですが如何でしょうか。
今日はここまでです。
ではまたお会いしましょう
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東京都世田谷区在住
萩原行政書士事務所
行政書士 萩原伸一
E-mail: visa.hagi@gmail.com
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