邪馬台国と女王卑弥呼

(その5)

 

2021.02.25

萩原行政書士事務所

 

 

 

三 狗奴国(くなこく)について

位置

邪馬台国の南に位置する。

 

本質

邪馬台国と対立する勢力であった。

 

渡来人の上陸

出雲とプレ大和政権は卑弥呼共立という契約が可能になりましたが、狗奴国(九州南部)と北部九州との間では両者ともに争いを止めることはできなかった。

その理由としては、狗奴国の侵攻先が北部九州(朝鮮系が主体)であったためと考えられます。

 

狗奴国の滅亡と倭建命(日本武尊=日本書紀の表記)

魏志倭人伝は狗奴国、古事記・日本書紀は狗奴の一族(クナゾク)=クマソと呼んだ。

熊襲の滅亡は即ち狗奴国の滅亡と言える。

狗奴国制圧は、邪馬台国の2代目女王台与の指示と考えられる。台与の晩年(300年前後)、北部九州(伊都国や奴国)から狗奴国の侵攻が訴えられるも、卑弥呼の晩年のように中国に仲裁・説得を期待することはできず(265年魏の後継政権である晋の内紛、いわゆる「八王の乱」による混乱のため)、台与の指示により倭建命(ヤマトタケルノミコト)が派遣されたのではないか。

 

今日はここまでです

ではまたお会いしましょう