日本の神話と古事記・日本書紀

   (その8)

 

2021.01.07

萩原行政書士事務所

 

 

今回(その8)は、このシリーズ「日本の神話と古事記・日本書紀」の最終話となります。

 

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応神天皇の14年から20年にかけて中国大陸や朝鮮半島から、渡来人の来朝・帰化が相次ぎ、先進技術や学問・文化が伝えられました。

 

この時期の主な渡来人は、次の通りです。

――弓月君(ゆづきのきみ):秦の始皇帝の子孫。養蚕とはた織りの技術をもたらした。

――阿知使主(あちのおみ):後漢の霊帝の子孫。文筆と財政の専門家として仕えた。

――王仁(わに)と阿直岐(あちき):百済から渡来した学者。儒学や漢字を伝えた。

 

平安京の貴族の名前をすべて列挙した「新撰姓氏録」は815年に編纂されたものですが、古代の氏族名鑑として価値のあるもので、天皇家系の「皇別」、神武以前の神々の子孫である「神別」、渡来系の「諸蕃」の3つに分かれていて、秦氏は諸蕃の代表的な氏族。

 

弓月君は秦の始皇帝(ユダヤ系との説あり)の末裔とされていることから、秦氏は秦の始皇帝の末裔ということになる。

 

秦氏を厚遇した見返りなのでしょうか。

土木技術に優れた秦氏一族により厚遇を受けた返礼としてなされたのであろう、と推測される事例が一つあります。

 

それは、巨大古墳です。

日本第2の規模を誇る前円後方墳(前方後円墳ではありません)は、大阪にある応神天皇陵(425m)です。

因みに、日本最大の前円後方墳は仁徳天皇陵(520m)ですが、仁徳天皇も秦氏一族を厚遇し国内の統治に努めました。

 

 

 

この辺で神話と記・紀のお話は一段落とさせていただきます。

書き終えてみますと、私自身の個人的な興味は、「古事記」が中心で、もっぱら神話の世界だったかなと感じています。

神話が語っているのは何なのかあまり深く考えたことはありませんが、その点については宿題として残しておきたいと思います。

 

今回は、「日本書紀」についてあまり触れませんでした。

記紀の編纂は天武天皇によって始まっていますが、個人的には天智天皇と天武天皇の系譜

の違いに興味をひかれていまして、何故ここに強い関心を持ってしまっているのか、この辺のところはもう少し参考書籍に当たって見ていけたらとも思っています。 

 

最後までお付き合いくださった皆様

ありがとうございました。

 

次回から挑戦する新しいテーマは古代日本の「邪馬台国と女王卑弥呼」です。

どのようなでき具合かも興味津々、皆様からの自由なご意見やコメントをお待ちしております。

 

ではまたお会いできるのを楽しみにしています。

See you again soon.

(完)