日本の神話と古事記・日本書紀
(その2)
2020.11.22
萩原行政書士事務所
始めに「邪馬台国」について、この話はいずれシリーズものにして触れていこうと思っていますが、今日は折角ですからチョットだけさわり部分につき触れていきます。
この時代の日本には独自の文字というものが出来上がっていなかったこともあって、国内事情を正確に把握するために証拠となる文献は不十分でした。
こういったことから「邪馬台国」の時代は、お隣の国の魏志倭人伝などから読み解かざるを得ない状況で不透明な空白の時代と言われているようです。
例えば、「邪馬台国」はどこにあったのかという場所の特定についても、九州説か近畿説かの論争があってこれも未だに決着がついていない上に、そもそも存在していないのではないかという第三の説もあって結論は出ていないようです。
「邪馬台国」の場所の特定について、まったくの素人である私自身の印象は、
①確たる証拠が出るまで九州説か近畿説かの議論には余り拘泥しない・左右されない様にしよう。
②そもそも存在していないという第三の説には、結構惹きつけられる魅力を感じます。
けれども、一方で第三の説に対しては、本当にそうだろうかという単純な疑問を抱いていて、未だにこの疑問を完全には払拭できていません。
③こういった背景を踏まえて、自然に出てくる発想は、だいたい次の④のような感じですが皆さん如何でしょうか?
コメント・ご意見をお持ちの方は歓迎しますので、ぜひお寄せください。
④魏志倭人伝に出てくる倭の30近くの小国とは北部九州にあって、「邪馬台国」はこれらの小国を緩やかに統括している。
女王卑弥呼は近隣諸豪族の総意によって推戴された統合の象徴であって、武力という軍事力をもって周辺地域を支配してはいない。
これはあくまでも私の推測ですが、
ヨーロッパのEUという地域統合圏のようなイメージで「邪馬台国」は存在していたのかもしれない。
即ち「邪馬台国」はEUと同じで独自の国家という独立した主権・領域を持っていないのではないか、女王卑弥呼の下に統合された地域圏ではないか、との想像をたくましくしています。
今日はここまでです。
ではまたお会いしましょう。

