2020.11.03

                                萩原行政書士事務所

 

KFCのお話の続きで、今回はサンダースおじさん<その3>です。

お楽しみください。

 

 

1906年、セオドア・ルーズベルト大統領の時代にキューバでは政情不安となる。

母親の妹の夫、カーネルの叔父は、アラバマ州シーフィールドでサザン鉄道に勤務をして

いたことからその仕事を始める。機関車の釜焚きの青春時代であった。

20歳直前、会社を首になる。労組役員となっていたことが原因か?

 

1908年、カーネル18歳で、最初の妻ジョセフィンと結婚。

二人目の子で一人息子のハーランド誕生。

夫婦仲はうまくいかず、「会社を首になるような男と結婚したのは間違いだった」と言って

妻が家出。

39年後に離婚。

 

アーカンソー州リトルロックへ転居。

弁護士の仕事につく。資格は必要なかった時代であった。

 

カーネルの性格は、すぐカッとなり、物事に妥協できずに人と対立してしまう。

その結果なのか頻繁に転職している。

<これはアイルランド系移民によく見られる特徴だと言われる。>

 

1912年、22歳になったカーネルは、保険の外交員を辞めた後、

インディアナ州のジェファソンビルに移っている。

彼はこの頃になってようやく「自分の性格は誰かの下で働くことに向かない」と言うことに気づき始める。

心のどこかにある「自分のビジネスを持ちたい」という気持ちが、事業家としての道を徐々にたどり始めているのでした。

ジェファソンビルでは初めてロータリークラブに参加し、クラブの活動については生涯辞めることはなかった。

 

事業家としての彼は、フェリーボートの経営に参加することから始まっている。

ボートの名前は、オールド・アスマ号と云い、人を100人くらいと車15台ほどを載せる船で、

ジェファソンビルからオハイオ川を越えてケンタッキー州のルイビルまで往復していた。

ただこの船、冬季は川に氷が浮かぶので運航できず、ほとんど儲けにならなかった。

 

この経営はどうにか続けていたが、インディアナ州コロンブスの商工会議所より秘書の仕事の依頼を受け、

「多くの商売人と知り合えるチャンスだ」と考え、迷わずボート経営から手を引きコロンブスへ向かった。

 

しかし、実際に秘書の仕事をしてみて、「自分の性分に合わない」とわかり、約1年で辞めている。

 

ガスランプの製造販売では、事業を始めて間もなくして性能がはるかに優れている電気ランプが売り出され、

カーネルは持っていたお金をすべて失ってしまった。

 

ケンタッキー州に移り、ミシュランタイヤのセールスマンを始めているが、

工場の閉鎖に伴い、約1年半働いた後に解雇されている。

 

 

今日はここまでです。

次回、<その4>をアップしますので、お楽しみに!

 

このお話は、何十年も前の私のアメリカ滞在中に端を発した興味をもとに今になって

当時を懐かしみつつ関連本に目を通し書き始めました。

ある夏の休暇中に旅行でリンカーンの故郷であるケンタッキー州を訪れた際に、KFCに

触れたことがそもそもの始まりでした。

このお話はもう少し続きますので、お時間の許す限りお付き合いください。

 

ではまた

 

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