昔、カナダにいた時代でした。
将棋名人戦何回目かの挑戦で勝ち名人となり、その後、日本将棋連盟の会長という重職まで務めた今は亡き米長さんから指導対局を受けたことがありました。
当時、プロのトップ棋士であった米長さんに教えてもらったことは、私の一生における宝物の一つとなりました。
○傷心の旅
何回目の名人挑戦でしたでしょうか。当時、米長さんが中原名人との名人戦に敗れ、傷心の中やってこられたのはカナダのトロント。トロントからは車で北に数時間ドライブした地域にアルゴンキンという森林地帯が広がっています。この森はとてつもなく広く、まさにその規模は広大無辺。人っ子一人として通り過ぎることは全くと言っていいほどなく、人の気配を感じることなしに日々の雑用に追われることもない大自然の中でゆっとりとした自分だけの過ぎ行く時間に浸っておられたのではないでしょうか。
カナダは本当に広く大きな国で大自然が豊かですね。
米長さんはしばらくこの森の奥に滞在して、一人静かに瞑想にふける日々を過ごしていたと聞いています。
○米長さんに指導対局を受ける
山ごもりを終えて都会に出てこられた米長さんに、地元の有志がお願いして指導対局をしてもらうことになりました。取り纏めの世話役は、この町で毛皮店を営む方でした。その方の紹介もあってこの時私も参加していて、飛車と角の大ゴマ2枚を落としてもらった2枚落ちの対局でしたが、全く手が出ず完敗でした。
対局開始にあたり米長さんから「(駒落ちの)定跡は?」と尋ねられたので、この時しまったと思いつつ、「すいません。全く定跡の勉強はしてきておりません。」と答えました。
ただ、目の前におられる人は、名人位を争うほどの将棋のトップ・プロ、超一流の人であることはとうに承知なので、私は随分緊張していたのだと思います。ずーと正座のし通しでした。
十人ほど指導対局を受けて、数人が駒落ちでも米長さんに勝ったと喜んでいました。
勝った人は自分が一番強いと自慢したそうで、後日その話を伝え聞いた米長さんはどうも私が強いと見ていたらしく、優勝カップを寄贈するので米長杯争奪戦をやってはどうかと提案してくれました。
○現地邦人紙に私の優勝記事が
いよいよ米長杯争奪将棋カナダ・オープン戦開催となり、トロントの邦人紙も取材にやってきました。参加者は数十名、結果は私の優勝となって、米長杯の優勝カップを手に喜びの表情一杯の写真と優勝の感想と棋譜のコメント付きでトップ一面に大きく掲載され、めでたく幕を閉じました。
○後日談
米長杯争奪戦で優勝させてもらった数か月後のことでした。
お世話役の方と雑談する機会があって、米長さんの話に花が咲いたそのときに聞いたお話です。
お世話役の彼が日本に一時帰国した際に米長さんにお会いして、優勝カップ寄贈の御礼とオープン戦を無事に開催、私の優勝となったことを報告したそうです。米長さんは結果報告を聞いて、そうなるであろうことを前から予測していたような感想をおっしゃっていたようで、そのお話には少し驚きました。
米長さんの事前予測の根拠はというと、トロントでの指導対局の時に実際に指してみて感じたことですということでした。米長さんは一番強いと見た私をお山の大将にしてはいけないという思いからか、厳しく教えてくれました。勿論、私は局面中盤の途中で投了するほどの惨敗となりました。
他方で、指導対局に勝った何人かの人は自分が一番強いと思ってしまったのかもしれません。米長さんの予想通り、その後トロントの将棋仲間内ではおかげさまで私が一番勝率が良かったようです。
米長名人の慧眼に敬服してご冥福を祈りつつ。
ではこの辺で記事を終えたいと思います。
12月2日のブログ記事にある画像について、「ここはどこでしょう?」と皆さんに問いかけをしていました。ヒントとしてHPの中にその画像がありますとお伝えしていましたので、簡単に分かったのではないでしょうか。
http://www.visahagiwara.com/index.html
そうです、答えはベルサイユ宮殿です。
ではまた。
