ちょっと素敵なお話を読んだのでブログでも紹介させてもらいます。
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★トップスター料理人が始めた料理カウンター
料理人の地位は昔はさらに高かったらしい。
日本で料理カウンターを広めた料理人は塩見安三である。
明治28年に生まれ、昭和46年まで生きた。
当時の一流料理人は二人一組で全国の有名な店をわたり歩いて仕事をしていたらしい。
塩見の孫で、その流れを汲む「銀座浜作」を経営している塩見彰英さんはこう書いている
うちの安三おじいさんと相棒の出井豊三郎さんは広島の料亭へ出かけていったときなどトップスター並の人気ぶりで、それこそ街を挙げての大評判。店には客が殺到して大変だったといいます。
給料は100円とれれば一人前の板前と言われた大正当時、安三おじいさんは500円もらっていた聞きました。
このころ国立大学の教授の月給は70円というから、まさにトップスター。
この塩見が大正13年にカウンター形式の店「浜作」を大阪で始めた。
客の目の前で、当時のトップスター料理人が腕を振るうのを見られるということもあって、たちまち大評判となったようだ。値段も当時の一流お座敷料理屋を時には上回ったという。しかし塩見は無愛想だったというから面白い。
のちに「浜作」は東京に進出し、白洲次郎や谷崎純一郎、菊池寛、岩波茂雄など文化人、財界人に贔屓にされた。
来日したチャップリンやマリリンモンローまで来たという。
客が料理人の腕を振るう様子を喜んで見たり、料理人と話を楽しめるというのは、客の方にそれだけ職人に対する敬意がなければ成り立たない話である。
カウンター形式が日本で広まったのは、厳しい料理人道と、そこから生まれる料理人への敬意が社会にあったからであろう。
★カウンターでは包丁の使い方も変わってくる
カウンター形式を取り入れた「吉兆」の料理長までしていた穴見秀生さんはいう。
大きなキッチンで働いているときは、要するに最後の仕上がりが綺麗であるかどうかが勝負。
多少斬り方がおかしくても、仕上がりがよければ良かったのです。
お客さんの目の前にある料理カウンターでは、まな板も常に綺麗にしています。
しかし、調理場ではそんなことまで必要ではなかった。鯛の頭を落とすにしても、料理カウンター形式では、お客さんに何か飛ぶようなことがあってはいけないと、包丁の使い方まで調理場とは違ってきます。
このように調理のプロセスがすべて客の目の前で行われること、そして客が食べるときに満足しているかどうかを料理人が目の当りにできること。
要はそれだけキッチンに比べて真剣勝負なのだ。
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いかがですか?
日本人ってかっこいいですよね!!