死と尊厳
スイスへの「自殺旅行」が4年で倍増、調査で判明
[チューリヒ 21日 ロイター] - 安楽死が目的でスイスを訪れた外国人が、2009─12年の4年間..........≪続きを読む≫
[チューリヒ 21日 ロイター] - 安楽死が目的でスイスを訪れた外国人が、2009─12年の4年間..........≪続きを読む≫
今年の1月に<多発性骨髄腫>という病気で父を亡くしました。
10万人に2~3人しか発生例のない珍しい病気で、研究も
進んでいないので特効薬もなく、ただ薬で進行を遅らせる事
しかできない病気です。
まだ病気が発見される以前、父がたまに言っていた言葉。
「俺は直る見込みのない病気になったら、安楽死したい。自殺する
方法を考える。」と…。
実際病気になってからは、最後まで懸命に病気と闘い命を全う
しました。
でも、本心ではまだ生きたいという気持ちと早く楽になりたいという
気持ちの両方で揺らいでいたのではないかとそんな風に思うんです。
日々弱りゆく体を精神力のみで支えるということがどれだか大変な
事なのか、それは経験したものにしかわからない事。
家族がまだ側にいてほしい、どんな姿でもいいから生きていて欲しいと
願うのは当然の気持ちでもあり、エゴと捉えることもできるのではないの
でしょうか?
私もそれに近い言葉を生前一度だけ父に言ってしまいました。返事は
かえってきませんでした。 父にとって辛い言葉を投げかけてしまった
のだと、反省しています。
安易に死を選ぶことを良しとは思いませんが、何がその人にとっての
幸せなのか? 最後までその人らしく生きるとは何なのか?
以前、youtubeで自らの意思で死を選ぶ安楽死?(薬を服用しての死)を
見たことがあります。
彼らの死はとても穏やかで死にゆく顔はとても幸福そうにみえました。
この映像が本物ならば、彼らの死をどう受け止めたらよいのでしょうか?
私はまだその答えを出せていません。