↑公園の中の古代遺跡といった趣きの興福寺。最近は少し明るくお寺らしくなってきたかな。
変わりつつある興福寺
今年の桜は、つい先頃までソメイヨシノが花をつけていました。枝は異なるものの同じ木に1ッ月ほどの間花が咲いていたのには驚きです。長いといえば長いのですが、あれだけ咲き誇っていた花が、いつの間にやら散ってしまい季節の移り変わりを感じさせます。
私事ながら、一時なぜかCRP値が21を越えたりして、ろくなことのないうちに、春は足早に過ぎ去った気がします。おかげで、お寺参りも季節のよいうちにと思っていたのに、5月になってしまいました。
行き先は奈良・興福寺。FlightGear用に作成中の平城京の寺の3Dオブジェクトの次の対象は、オーソドックスに五重塔のある興福寺かなと。


↑柵のある興福寺東金堂、五重塔 ↑写真に撮られることが少なそうな東金堂裏
興福寺は藤原氏の私寺でありながら、国家の手で造営されるようになり、僧兵を擁し幕府に守護もおかせず、実質大和国を支配し、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った寺であることは、よく知られています。
しかし、興福寺といえば、今にも朽ちてしまいそうな古い木造であり、公園のなかの古代遺跡といった趣きで、お寺さんという感じをもったこともなかったように思います。今でこそ柵がめぐらされ、東金堂は拝観料がとられているようですが、かつては塀もなく柵もなく、観光シーズン以外は子供の遊び場みたいになっていたひなびたうら寂しい印象があります。
享保2年(1717年)の火災で焼けた西金堂、講堂、南大門が再建されなかったこともさることながら、明治維新の時の廃仏毀釈で一時廃寺同然となり、塀が取り払われ奈良公園の一部にされてしまったということですから、そのことが違和感を醸し出しているのかもしれませんね。


↑食堂を模して作られたコンクリート製の宝物殿 ↑再建工事中の中金堂
それでも、最近は興福寺整備計画、2018年落慶予定の中金堂再建のとりくみがすすめられていて、以前にくらべれば明るくなった感じですし、回廊ができたりすればいよいよお寺らしくなりそうな気配です。
かつての興福寺もよかったのですが、観光誘致を考えれば少しは変わっていくこともいたしかたないことなんでしょう。
さて、3Dモデリングのために必要な写真を撮影しようとでかけたのですが、昼時、しかも五月晴れときて、逆光になることが多くてケイタイのカメラでは少々つらいものがありました。


↑逆光はかなりつらい ↑薬師寺などとは少し異なる組物
平家の南都焼討で、大半の伽藍は消失し、現在の建物はこの時以後のものだそうで、そのためか、組物は薬師寺とはだいぶ違っています。
南円堂と北円堂については、裏側がどうなっているのか撮影したかったのですが、柵がされていて立ち入りできず、一部遠くからがやっとでした。


↑特別公開中だった北円堂 ↑八重桜の向こうに南円堂
興福寺と言えば、あとまだ三重塔があります。
