
ゼロ戦設計者の嘘!?
著書をよく読まないとわからないことですが、ブログによれば、「自分が海軍の打診を断ったことに対する悔悟の表明がないばかりか、全ての責任は日本の産業構造の後進性と、海軍の技術行政の不適切によるものだと断じている」と書かれています。しかも堀越技師自身、烈風という戦闘機のエンジン交換を自発的に行っているから、この弁明はインチキだとも批判されています。
試作中止となっていた烈風の開発は空技廠の和田操廠長の英断によるものだったと言うコメントは、堀越に対する贔屓のひきたおしになってしまっているようです。烈風のエンジン換装の際には、試作中止の決定がなされたのにもかかわらず、堀越が海軍と会社を説き伏せて会社のリスクで換装作業を行う努力をしなければ、ありえなかったことではなかったのでしょうか。
海軍の航空行政を批判するくらいであれば、それなりの見識を持ってそうなものですが、「堀越技師は零戦の試作指示の際も烈風の際も速度、運動性能、航続距離など、要求仕様に矛盾があるとして優先事項を明確にするように発言している。これは一見担当技術者としては正当に聞こえる。しかしこのことは堀越技師には、あるべき戦闘機の未来像や相手たる米機の動向から理想とするものは何かという主体性が欠けている」というのがそのブログの見解です。
これには、先のコメント者から、当時、世界の戦闘機設計者で独自の見識を持った設計者として3人の名があげられ、他は寡聞にして知らないとして、「そのような見識を求めるべきは用兵側と技術をつなぐ空技廠でしょう。また、当時の日本の航空機技術者の大半がそのような将来を見据えた見識なるものを示していない状況で、堀越技師のみを非難するのは、アンフェア」だとする擁護がなされています。
ちなみに、別のコメント者が源田実氏を批判するくだりで、「山本五十六元帥が前線視察で戦死したのは、NHKの番組では、前線のパイロットの意見を直接聞いて、ゼロ戦のパイロットを保護する防御をしっかりすれば、まだまだ戦えると言う報告を東京に持ち帰る為だったと言う。助言を受け入れず、戦後に『猿の知恵は後から』と言うなら、せめて『あの時の助言は人間からの貴重な助言で、受け入れなかった自分は猿(並み)だった』と発言すべき所ではないだろうか」と述べられていたのですが、このことは事実なのでしょうか。寡聞にして知りませんでした。戦後になっても、防御は操縦者の技量でカバーすべきもの、防弾装備は分不相応といった旨のの回想を、堀越技師がされたと聞いたときには、違和感を覚えずにはいられなかったものですから。