
第2次大戦中、東部戦線にもフランス人部隊の配置を企図したド・ゴールの提案で、フランス人パイロットらによる飛行隊がソ連に送られました。この自由フランス空軍第3戦闘飛行隊「ノルマンディ」のフランス人らは、乗機にYakを選び、1943年3月22日の実働以後、欧州での戦争終結までの2年余の間に、273機の敵機を撃墜し、フランスとソ連の数多くの勲章を授与され表彰されました。そして、ネマン川渡河作戦に参加した功績により、スターリンからネマン(ニーメン)の名称を与えられ、部隊は「ノルマンディ・ニーメン」と呼ばれるようになったものです。Wikipediaを見ればわかることを長々と書くのは、気が引けます(^_^?)
多数の戦果をあげる一方、部隊所属のパイロット95名のうち半数近い42名が命を落としたノルマンディ・ニーメンは、ドイツ降伏後の1945年6月21日、ソ連から敬意を込めて提供された37機の愛機Yak-3ともども帰国し、シャンゼリゼ通りを凱旋飛行したそうです。
30名ものエースパイロットを排出しながら、同時に多数の犠牲をだし、まさに英雄的といえるノルマンディ・ニーメンの働きですが、被害の大きさの裏に、「紙飛行機」と称されたYakの燃えやすい機体が、関係したということはないのでしょうか?
ソ連機の機体には、アルミニウム合金ではなくマグネシウム合金が使われたからだというような記述も見かけます。マグネシウムといえば、写真撮影のフラッシュに使われ、激しく燃えてまばゆい光を放つことが、思い浮かびます。軽いですが、まさかと思いますよね。
化合物の知識に乏しいものですから、半信半疑という感じですが、機体が同じく木金混合であるソ連機であっても、対地攻撃機で有名なIl-2シュトゥルモヴィークだと、機関銃で命中弾を与えても墜落するどころか火さえなかなか噴かず、ドイツ軍からは「空飛ぶベトンブンカー(コンクリートトーチカ)」、「空飛ぶ戦車」と恐れられたといわれるのが、不思議です。