パリ散策(3)ーモニュメント
FlightGearの仮想世界のパリの空を散策していると、ヴァンドーム広場の円柱の他にも塔のようなモニュメントを見かけます。モニュメントと決めつけていますが、間違いないでしょう。
気になっていたこれらの柱を、調べてみました。

コンコルド広場のオベリスク
画像のオベリスクは、まさにエジプトのルクソール神殿の前で対をなしていたというオベリスクのひとつが運んでこられ、1833年にコンコルド広場に建てられたもの。シテ島西方にあるコンコルド広場は、その前は革命広場とよばれ、1792年に起こったフランス大革命の翌年、国王ルイ16世と妃のマリー・アントワネットがギロチンで処刑された場所は、ここだったんですね。

バスティーユにある7月革命記念柱
画像の円柱は、シテ島東方のバスティーユにある7月革命記念柱です。翼を広げた男性像が載っています。フランス大革命のはじまりとなったバスティーユ監獄の襲撃は、このあたりで行われたわけですね。
フランス大革命の後、フランスではロベスピエールの恐怖政治、テルミドールの反動と続き、王政復古するにいたります。復古王政の反動的な政治に不満をつのらせた民衆が起こしたのが1830年の7月革命。ふたたびブルボン王朝は倒され、ブルジョアジーの推すルイ・フィリップが王位につきます。革命の主体勢力であったプロレタリアートはないがしろにされ、「レ・ミゼラブル」に描かれる1832年の6月暴動へと連なります。7月革命は、欧州各国に波及、ウィーン体制を揺るがしました。ウィーン体制が崩壊するのは欧州を席巻した有名な1848年革命にいたってのこと。
創作で闘った芸術家たち
三色旗をかざす女神で有名なドラクロアの絵(「民衆を導く自由の女神」)は、7月革命のパリの市街戦を題材としたものだったのですね。ロシアに圧殺されたポーランドの革命を題材にしたショパンの「革命のエチュード」もこの時期のことだったようです。まったく知らなかったのは、アンデルセンが「絵のない絵本」の月の語る話に、7月革命を勇敢に戦って宮殿の玉座の間で命を落とした無名の少年の話があるそうです。どんな話かしりませんが、アンデルセンのひととなりを彷彿させる気がします。自由のために芸術家たちも創作で闘っていたのですね。
パリ散策飛行をはじめたのとミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観たのが重なり、すっかりフランス政治史にはまってます。ま、憲法記念日でもあり、そんな話題もよしとさせてください。