パリ散策(2)ーパリ・コミューンにゆかりの建物・人 | virt_flyのブログ

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 パリ・コミューンに名を残すルイーズといえばもうひとり、黒旗をはじめてかかげた無政府主義者のルイーズ・ミッシェルがいます。女傑ですね。教師でありビクトル・ユーゴーを深く敬慕していたようです。
 ユーゴーとは、もちろん「レ・ミゼラブル」を書いたあの超有名な文豪です。

 飛行機とまったく関係のない話題を書き出したのも、最近上映されたミュージカル映画「レ・ミゼラブル」の影響が多分にありそうです(^_^?)。

 コゼットの愛したマリウスのように、政治家ユーゴーも王党派からボナパルティストへの政治遍歴をもち、国民議会議員ですがパリ・コミューン時にはこれを支持する立場とりました。「無学なものの革命は支持できない」というようなところがありますが、普通教育の実施に力を尽くし、またコミューンの亡命者の受け入れを表明して、ベルギー政府から国外退去させられています。
 なお、「レ・ミゼラブル」に描かれたバリケード戦は、パリ・コミューンから40年ほど遡った1832年の6月暴動のときのことです。

 しかし、画家のクールベがパリ・コミューンに関わりのある芸術家とは知りませんでした。
 当ブログの「デジタル迷彩」で掲載した画像にある広場と円柱のことを調べたら、そこはヴァンドーム広場とよばれ、映画の題名にもなり、高級ブランドやジュエリーショップ、ホテルが並ぶ、世界で1番ゴージャスな広場だそうです。私のような貧民には縁の薄いところなので、知らないわけです。かつてショパンやジョルジュ・サンドが居住し、ホテル・リッツのバーにはヘミングウエイが通っていたとか。

 その広場の円柱には、ナポレオンの像が立っているのですが、階級闘争がもっとも激しく闘われることで有名なフランスのことですから、政治的にはいろいろな変遷があったようです。パリ・コミューン時に円柱は一度倒されており、コミューン崩壊後逮捕されたコミューン派の画家クールベが、その責任を問われ罰金を課せられ破産したという話は、その筋では有名なようです。クールベとしては、権力者による戦争と征服の象徴を容認することができないのはもちろん、芸術性のあるものに替えたかったかったのでしょうが、コミューン政府は受け入れず、解体だけが実行され、クールベは割を食うことになったようです。

 同じ画像の遠景の寺院は、サクレ・クール教会でした。日本人にとって一番有名なサクレ・クールといえば、モンマルトルの丘のこの教会のことだそうです。普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンで命を失った市民を讃える公共建造物をつくるのが当初の目的だったそうです。調べてみるものですね。建設に40年がかかり礼拝のために一般公開されたのが1919年、第一次世界大戦が終わった年だったために、皮肉にも普仏戦争以来のドイツへの復讐の象徴としてフランス人には捉えられていると聞きます。

 いやー、FlightGearでのパリの遊覧飛行は実に有意義でした。1~2枚のスクリーンショットがきっかけで、思わぬ知識を得ることができ、パリの遊覧飛行にはやみつきになりそうです。パリの3Dモデル製作者には感謝してもしきれません。

 画像は、パリ市庁舎の3Dモデル。三色旗まで再現されています。ぼやけていて確認できませんが、実物は時計の下に「自由、平等、博愛」の文字が刻まれています。1871年3月28日にパリ・コミューンの成立が市庁舎前で宣言されました。その後のたたかいで重厚な市庁舎は消失しましたが、1882年に再建され、細部まで建設当初の状態を再現しているそうです。