はじめましての方もご存知の方もこんにちは。#指定暴力団不確定性原理招致委員会 の「のうち」です。今回は、あなざーさんのブログを借りて一記事書かせていいただきます。
さて、今回のテーマは「不確定性原理」です。なぜこの楽曲は不確定性原理という名称が与えられたのかについて、楽曲名である不確定性原理(原理)の観点からも見たいと思います。
はじめに
筆者は大学~大学院で有機化学を専攻していただけなので不確定性原理(原理)については講義中に聞いたことがある程度です。マジモンの量子論やら物理学やらの不確定性原理オタクの皆様からのご指摘は真摯に受け入れます。
不確定性原理(原理)について
とりあえず見てもらいましょう。これです。


(ΔxかけるΔpは「二分のエイチバー」以上、という掛け算の不等式)
はい。よくわからないのでWikipediaの説明を引っ張ってみましょう。
不確定性原理(ふかくていせいげんり、独: Unschärferelation 英: Uncertainty principle)は、量子力学に従う系の物理量 Aを観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量Bを観測したときの不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はないとする一連の定理の総称である。特に重要なのはA、Bがそれぞれ位置と運動量のときであり、狭義にはこの場合のものを不確定性原理という。
はい。よくわからないです。とはいえ、マジモンの量子力学の話を楽曲でしているわけではないはず。なのでもうちょっと口語的に解釈してみましょう。
量子力学に従う系の物理量 Aを観測したときの不確定性と、同じ系で別の物理量B
→ある対象に関して、Aという性質の不確かさとBという性質の不確かさ
不確定性が適切な条件下では同時に0になる事はない
→A×Bが0以上であるため、AもBも0にはなりえない。つまり、上記の不確かさは同時に0にはならない。
つまり、何かに備わっているAという側面とBという側面は、どちらも不確かさが0にはならないということを言っています。不確定性原理(楽曲)におけるAとBについては次章で述べます。
更に、数式を見るとこれらの不確かさの大きさについても考えることができます。
簡単な数学のお話です。ある正の数を2つ掛け算して100を作るとしましょう。無限の組み合わせがあると思います。2つの数をどっちも小さくしようとしたら10と10でしょうか。一方、1つだけを小さくしようとすると、たとえば1と100、0.1と1000、0.01と10000……という風に、もう1つは無限に大きくなっていきます。
すなわち、先程出てきたAの不確かさとBの不確かさは、どちらかを求めればもう一方がおざなりになる、トレードオフの関係にあることを言っています。
不確定性原理(原理)と不確定性原理(楽曲)の
関連について
上の考え方が不確定性原理(楽曲)にてどのように生きているのかを見てみます。
先日の記事にて「SNSと現実で乖離した自分自身」という観点がありました。この解釈を当てると、AとBについては「本当の自分の不確かさ」と「SNS上の自分の不確かさ」がまさに当てはまるのではないでしょうか。
これらの不確かさがなくなりはしないこと、そして「本当の自分」と「SNS上の自分」どちらかを求めればもうひとつがおざなりになってしまうということが、不確定性原理(楽曲)が不確定性原理という楽曲名を与えられた理由と考えられます。
きっと皆さんにも各種SNSをしていて感じるモヤモヤといったものがあると思います。不確定性原理はその点を突いている、2018年でもなお色褪せない生きる楽曲であると言えるでしょう。
なおこの解釈については、あにみゅ! 12月号にある茅原実里全曲レビューにて、以下のような講評がなされていることも付け加えておきます。
骨太なギターとパンチの効いたビートが、歌詞の中で描かれている“葛藤”を思わせるミディアムナンバー。「暴いて欲しい」といった、“上辺の自分”と“本当の自分”の間にある複雑な感情を表したかのような言葉を、茅原は時に鋭く、時に雄渾に、多彩なヴォーカルで歌い上げる。『Defection』でのタフネスや『raison pour la saison』でのクールネスはそのままに、溜め込んでいた感情を全てさらけ出すかのように歌う茅原の歌声と切れ味の良いサウンドの化学反応が、聴く者のパワーをふつふつと漲らせてくれる。
鋭い。
不確定性原理(楽曲)について
やっと前置きが終わったので本題です。不確定性原理(楽曲)を見ていきたいと思います。
独り言が頭の中を 埋めつくして街を歩く
気まぐれにはじめてみても うまくいかないもの
→自分(不確定性原理における主人公)が何か憂鬱げに歩く様子が描かれている。
胸の奥に隠れた私 いつも誰かに探られる
笑顔で誤魔化してるけど ほんとは 暴いて欲しい
→悩みの種は「本当の自分」がちゃんと見られていないことだというのがここでわかる。そして、そうは思いながらも表面上の自分を演じているという矛盾も。
自分のことなんて みんな知らないままで生きる
見えないものは無いのと同じ 淋しい理屈ね
→自分のことは自分しか知らないし見えない、だとすればこの世界に「本当の自分」があってもなくても同じであるという恐怖。それは「淋しい」ことであると虚無的に捉えているややネガティブなフレーズに感じられます。しかし、裏を返せば「本当の自分」を知ってもらいたいという強い思いがあるからこそ生じてしまう感情なのです。本心はそっちです。
私は確かにここにいるの? おざなりな孤独じゃ傷つく価値もない
リアルな感覚確かめたいよ 歯痒いくらい 痛みを探してる
→その感情が爆発するのがここです。1行目では後ろ向きなワードが出ていますが、2行目では「リアルな感覚確かめたい」「痛みを探してる」という前へ進んでいこうという意思表示が見えます。この心の移り変わりが見えることが、不確定性原理(楽曲)が心に強く訴えてくる楽曲である理由だと思います。
自己主張と自分のサイズ ギャップを埋めようとする日々
どっちにも馴染みきれない じゃあ、この私は誰?
→「SNS上の自分」と「本当の自分」のギャップというこの楽曲での核心とも言える部分がここです。テーマが明かされることでこれまでの歌詞の持つ意味が一気に膨らんできます。
「SNS上の自分の不確かさ」が大きくなってきており、それにより自分が破滅してしまうんではないかとの危うさを垣間見せています。
同じような日々も 見方を変えればほら急に
輝きはじめるはずだなんて 素直になれたら
→上の危うさは退屈なサイクルと化した日々によるものであり、それとSNS上の、仮初の自分とのギャップに苦しめられていました。その解決としてSNSに上がるようなものではない日常に価値を見出すこと、それにより本当の自分に価値を認めることを選択しました。
1番サビ前フレーズの 見えないものは無いのと同じ 淋しい理屈ね の部分ではネガティブな印象もありましたが、2番サビ前ではポジティブな言葉選びがなされています。対比が美しい……。
溢れるパルスの波に飲まれ 大切なことさえ見失ってゆくね
諦めきれない私がリアル? 叫んでいるの? 声にできないまま
→パルス(Pulse)は、短時間に急峻な変化をする信号の総称。(Wikipediaより)

なぜこれまで、意味するところは同じである「他者から見た自分」ではなく「SNS上の自分」という観点で見てきたのか。それはここの歌詞に理由があります。電気的信号を意味するパルスが溢れるという状況は、現代のネット社会における情報の氾濫を意味していたのです。過多な情報に飲み込まれる中で本当の自分を求め、叫ぼうとするも声にならない、声がかき消される苦しみが描かれています。
また余談ですが、イントロのデッデッデッデッデッデッデッデッの部分はまさに連続パルスです。作曲・編曲の妙を感じますね……。
バラバラになってた バランスを取り戻すために
不器用に生きてもいいなんて 知らなかったから
→「本当の自分」と「SNSの上の自分」との揺れ動き。壊れかけているバランス。それを取り戻し、「本当の自分」を安定化させようとするのは、このSNS社会では難しい部分もあります。所謂インスタ映えなどの行為を行わず本当の自分のために動くこと。それはあたかも友人との外出時にパンケーキを食べずに二郎に行くかのようであり、大変難しい面があります。
しかしそんな不器用な生き方をしても良いのです。それほどまでに「本当の自分」は重要なものであり、そして現代では軽視されてしまっているものなのです。主人公は1つの「答え」を手にしました。
私は確かにここにいるの? おざなりな孤独じゃ傷つく価値もない
リアルな感覚確かめたいよ 歯痒いくらい 痛みを探してる
→これまでの苦しみはここで一旦の解決を迎えます。1番サビと同じフレーズ。悩み苦しんできた主人公はひとまず前に進むことを決め、これからも対面することになる「本当の自分」と「SNS上の自分」とのギャップへの葛藤に逃げない決心を固めました。
今現在でもメッセージ力の衰えることのない楽曲で今すぐにでもライブで聞きたくなります。これを2010年~2011年に制作・発表していたとは恐ろしい……。
さいごに
サマチャンセトリ企画の投票は2018/6/4(月) 23:59まで!
不確定性原理への投票をよろしくお願いします!!!
文字ばかりの駄文でしたが、ここまでご覧いただきありがとうございました。
笑顔で誤魔化してるけど ほんとは 暴いて欲しい
どっちにも馴染みきれない じゃあ、この私は誰?
輝きはじめるはずだなんて 素直になれたら
不器用に生きてもいいなんて 知らなかったから














