「介護力と経済力が必要」はウソである…自宅で安らかに死ぬために本当に必要なこと | あなたの健康が未来を左右する!!

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「在宅死」をかなえるには、どれだけの「介護力」や「経済力」が必要になるのか。都内で「しろひげ在宅診療所」を営む山中光茂医師は「独居、年金暮らしでも在宅死はできる。介護力や経済力は必要ない」と断言する。いったいどういうことなのか。ジャーナリストの笹井恵里子さんがリポートする。

「自分にそんな介護力はない」と思ってしまう人たち

今秋、読売新聞「人生案内 」に、60代女性がこんな相談を寄せていた。

 

<夫が倒れて入院し、様々な病気で転院を繰り返して退院できないまま寝たきり状態に。最近人工呼吸器が必要になり、「家に帰りたい」と(夫は)口の動きで訴えている。

 

医師は「これ以上良くなることはない」と言う。(自宅では)介護サービスを利用しても、夜は私一人。仕事もやめなければならない。「できないことはない」でしょうが、とてつもない労力が必要かと思う。

 

病院で行われていることを家でできるのか、家に帰ることで余計に苦しまないか、考えれば考えるほどわからなくなる>。

 

実際に私がこれまで終末期の患者や家族に取材した中でも、「もう有効な治療法はありません」「この後はどうしますか」などと医師から言われ、悩み苦しむ声を多く聞いてきた。どうしますか? 

 

と問われても、皆どうしたらいいかわからないのだ。たとえ家で過ごさせてあげたいと思っても、自分にそんな介護力はないと思ってしまう。

 

しかし、東京都内で常時1000人超の在宅患者を診療し、年間200人もの看取りを行う「しろひげ在宅診療所」院長の山中光茂医師は正反対のことを述べる。「自宅で安らかに死ぬ」ために、「介護力」や「経済力」は不要というのだ。

重要になるのは「在宅診療所」の選び方

山中医師はきっぱりとこう話す。「身寄りがない独居、年金暮らし、重症な病の方に在宅医療を行うことは十分可能です」

自宅で死ぬ場合、医師が定期的に訪問診療を行い、患者の最期を看取る。

 

一般的にそういった医師を「訪問医」「在宅医」などと呼び、その医師が集まる診療所を在宅診療所という。

 

それでは、安心して身を任せられる「在宅診療所」をどのように選べばいいのだろうか。大きなポイントとしては3つ――「医師が患者や家族からの相談を24時間受け付けているか」「往診をしているか」「重症患者でも診ているか」である。

「夜間はバイト医師」では救急搬送されてしまう

補足になるが、「訪問診療」と「往診」はその意味合いが異なり、「訪問診療」は定期的かつ計画的に医師が患者の自宅を訪問して診療すること、「往診」は急変時などの緊急事態に、患者や家族から依頼があった場合に訪問して診療することだ。

 

訪問診療は「在宅診療」を掲げているところであればやってくれるはずだが、問題は夜間を含め突発的に発生する「往診」のほうである。

 

例えば医師が一人しかいない診療所で、日中は外来をしていて、空いた時間で訪問診療をするようなケースでは、夜間や緊急時に往診に行かず救急搬送をするだけというケースが少なくない。

 

また「24時間対応」といっても、いつもの医師が往診に行かなければ意味がない。「患者さんの普段の様子を知らない医師が往診に行っても、困った時はすぐ救急搬送してしまうでしょう。

 

それなのに日中と夜間を分離するスタイルの在宅診療所が増えているのです。特にトップの院長だけ正規職員として、そのほかはバイトドクターとするフランチャイズ型の医療機関では、夜間はバイトドクターが往診します。

 

昼夜完全分業制にすれば、医師のワークライフバランスは保てるかもしれませんが、私はその患者さんを一人の医師が責任もって請け負う“主治医制”がいいと思います。せめて患者さんの情報を共有する、同じ診療所の医師が24時間365日診るべきです。

 

当院ではおよそ13人のドクターが在籍し、一人あたり100人近くの患者さんの主治医という体制をとっています」(山中医師)特に「夜間」は、患者や家族からのさまざまな訴えが押し寄せる。 

24時間365日患者からの相談を受け付けているか

山中医師の携帯の着信履歴を見せてもらうと、患者からのコールがずらりと並ぶ。不安、眠れないなどという本人の訴え、幻覚や幻聴のような症状への苦しみ……。

 

「こういった夜間の不穏によって家族が疲弊し、介護が大変になる人が、実はものすごく多い。特にがんの末期や難病の方は体の痛みや苦しみだけでなく、不安感や焦燥感をよく訴えます。けれども夜勤だけ担当するような医師は『専門ではありません』と拒否してしまう。

 

当院では全員精神科について勉強をし、心の面のフォローもします。ドクターが電話で10分20分話を聞くだけで、みなさんずいぶん落ち着くんですよ。患者さんの訴えをこちらが全て受けることで、同居する方だけでなく離れて暮らすご家族も、本人からの連絡が減ってラクになったと言うくらいなんです」

 

在宅介護の大変さは、本人が病院にいる時は言わないことを親しい家族には言ってしまい、家族も「ずっと診なければいけない」というプレッシャーとともに負担感が増してしまうことなのだ。

 

私が家での看取りを経験した家族に取材した際も、多くの人は生活や仕事の時間を削って介護を背負っていたし、「緊急時に医師が来てくれない」と嘆く人ばかりだった。

 

だから、在宅診療所を選ぶ条件として先に挙げたように、24時間365日患者からの相談を受け付けること。場合によっては緊急的に往診をしてくれること。そしてもう一つは、「病気を選ばない」ことだ。

診療所側に「重い病気の人」を診る姿勢があるか

冒頭で紹介した読売新聞「人生案内」に寄せられた相談内容では、病院勤務の看護師が「自宅で看ることも、できないことはない」と述べている。できないことはないというのは、できない可能性が高いけれども「がんばればできる」イコール「ほぼできない」ということではないか。

 

山中医師も大きくうなずく。そして、「重症の患者さんだったり、介護環境が悪かったりすると『家で看れるはずがない』と言ってしまうドクターはよくいる」と指摘する。

 

「とにかく困ったら救急搬送なんです。ですが本来は、こういうふうに看護師を入れよう、ヘルパーさんにお願いしよう、点滴しよう、入浴サービスを入れようと調整するところまで含めて在宅医療の役割だと思いますね。少なくとも診療所側に“重い病気の人でも診ようとする姿勢があるかどうか”が大切です」

「1~2時間おきの痰吸引」は必要ない

とはいうものの、私には気になることがあった。

一つは「痰の吸引」だ。脳疾患や呼吸器系疾患、パーキンソン病などの病気、または患者の体力低下によって、痰や唾液などの分泌物を自力で吐き出せなくなる。その際、吸引器によって痰を取り除くことが必要になる。

 

医療行為ではあるが、家族による実施は認められているため、在宅介護になると夜に数時間おきに起きなければならないと聞く。それについて質問すると、「そんなにしなくても大丈夫」と山中医師。

 

「痰の吸引については医学的な細かい話があるのですが、大まかに説明すると、点滴量を適切にし、体に余計な水分がたまらないようにすればいい。

 

病院のドクターが、在宅に移行する家族に対して『1~2時間おきに吸引してください』と説明するケースもよくありますが、僕は退院した初日に『そんなにしなくていいです』と言い切ります」

 

また病院だから24時間看護師がそばにいるわけではない、という理解も必要という。

 

患者は家でも病院でもどこにいても24時間フォローされるわけではない。ナースコールがあったとしても「痰が絡んで朝呼吸が止まる」という事態は病院でも起こり得ることを忘れてはならない。

「オムツの交換」も看護師に任せられる

それではもう一つ、「オムツの交換」についてはどうだろう。例えばホームヘルパーや看護師が訪問し、オムツを交換してくれたとしても、彼らが家を出た直後に患者が便をしてしまったら? 

 

その時は家族がオムツ交換をしなければならない。取材でもそうした悩みを聞いたことがある。だがこれも「調整可能である」と山中医師。

 

「もともと疾患がある人は、便が数日に1回、1週間に1回ということが多いので、下剤を飲ませて便が出るようにします。たまってしまうと、それによって病状が悪化することがありますからね。

 

けれども下剤の飲みすぎで便がゆるすぎる状態も問題でしょう。看護師が訪問した際に便を出すといった適切な排便コントロールを行えば、家族の負担が減るはずです」

 

たしかに変な話だが、便ではなく尿であれば、オムツ交換にそれほど抵抗がないかもしれない。

「仕事をやめて介護に専念する必要はまったくない」

コロナ第7波の真っただ中、「しろひげ在宅診療所」の訪問診療を密着取材した。山中医師は家族に対して「がんばらなくていい。何もしなくていい」とよく声をかけていた。

 

「家族が介護に関わるな、という意味ではありません。関われるし、関わらなくてもいいという選択肢があることが大事。でも実際は『家族がやらなくてはならない』と感じるケースがあるのは知っています。

 

それは介護の仕組みをちゃんと使えていないんです。ケアマネ(ケアマネジャー、介護支援専門員)や医師の問題でしょう。在宅医療を行う医療機関は、家族が患者さんに愛情だけを注げる環境を整備することが本来の仕事のはずです」

 

家族が仕事をしているなら、病院に預けているのと同じような感覚でこれまで通り仕事をしていい。「仕事をやめて介護に専念する必要はまったくない」と山中医師は続ける。

 

「そして在宅医が患者さんの最期を見極め、残り2週間から1カ月くらいのタイミングで介護休暇をとれるといいですよね。その最期の見極めも、医師の力量が問われます」

 

在宅診療所の選び方を間違えなければ、家族の負担はほとんどないのだから、もちろん独居でも問題ない。 

「重い病気だから、家にはいられない」は事実ではない

実際に密着取材中、独居で寝たきりの患者に複数人出会った。ある60代後半の女性患者は「家で診られる状態じゃない」「残りわずかの命」と病院医師から言われたそうだが、本人の希望で家に連れて帰ると、出なかった声が出るようになり、点滴も不要になったという。

 

女性の鎖骨付近には直径3センチ程度の丸い埋め込みがある。「ポート」というのだと、山中医師に教えてもらった。「口から摂取するのが大変になった人が、鎖骨付近の静脈からカテーテルを挿入し、ポート本体を埋め込み、栄養や薬を入れるんです。

 

ここから針を刺すんですけど、仮に抜けたとしても血が流れることはないし、トラブルも少ない。

 

在宅では使いやすいんですよ。ただ、この方の場合、当初は2週間程度家で点滴をしたんです。それで良くなった時に病院でポートをつけてもらい、家で最期を迎えるということで帰ってきました。でも、そしたら家で口から食べられるようになって、すっかり元気になって」

 

これだけ重い病気だから、家族がいないから、家にいられるはずはないという指摘がよくされるが、それは事実ではないと、私はこの取材中に何度も感じた。この女性を見ても、改めてそう思った。

 

ベッドに横になりながら、窓の外を眺めていたその姿に、つらさや寂しさをまったく感じなかったからだ。むしろ山中医師と話す表情には笑顔が見られ、私に対してもジョークを飛ばしてくれた。

費用は「年金の範囲内」で十分にまかなえる

また、在宅では入れ替わり立ち代わり人がやってくる。寝たきりであればホームヘルパーを中心に一日に複数回は誰かがくる。孤独……ではないだろう。それどころか身寄りがない、いわゆる「おひとりさま」は、在宅医療の“超適応”なのだそうだ。

 

「自分たちが行くことで喜んでもらえる。寝たきりの方であれば朝・昼・晩にホームヘルパーさんが入る。動ける時はデイサービスやショートステイを使いながら最期は自分たちが家族の代わりに写真を撮ったりしてよい時間を作りたいという思いで診療しています」

 

最後に金銭面についても、年金の範囲内で十分にまかなえます、とのこと。正直、密着取材中も裕福と感じる人のほうが少ない印象だった。最低限の生活で精いっぱいのような人たちでも、最期を家で過ごしているのだ。

 

家族は仕事を続けながらでもOKで介護負担はほぼゼロ、おひとりさまでもお金がなくても家で過ごせる――そうであれば、家で死ぬことを選択してもいいと、山中医師の話や実際の訪問診療の現場を見て私は思った。

 

おそらく人生案内に相談した60代女性も、この話を聞けば安心して決断できるだろう。ちなみにその相談に対する識者からの回答文には「夫を(あなた一人で)自宅で看取るのはかなり無理があると私は思う」と記されていた。

 

介護サービスの本来の役割やできることを知らない言葉だと感じる。必要なのは、介護力でもお金でも、家族でもない。介護サービスにまつわる知識と、在宅診療所を選ぶ目だ。

 

-笹井 恵里子(ささい・えりこ) ジャーナリスト 1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)など。新著に、『徳洲会 コロナと闘った800日』(飛鳥新社)がある。ニッポン放送「ドクターズボイス 根拠ある健康医療情報に迫る」でパーソナリティを務める。 過去放送分は、番組HPより聴取可能。