モラハラ加害者が陥る“正義依存症”。他人を責めるとき「爬虫類のような目をしている」 | あなたの健康が未来を左右する!!

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◆昔のことを思い出すと……

 こんにちは。DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。

 

 僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になり、ようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観を自覚しました。現在は日々自分の言動を改善しながら、妻と関係を再構築させてもらっています。

 

 この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、無自覚に加害を行っている方々の参考になれば幸いです。

 

 これまで多くのDV・モラハラ加害者と話す中で、たくさんの共通点を見てきました。その1つが「シャワーを浴びているときに昔のことを思い出して恥や怒り、死にたさがやってくる」です。

 

◆自分を追い詰める声が聞こえてくる

 僕自身もそうです。頭の中で、自分に対する声が鳴り響いてくるのです。人によって表現は色々なのですが、例えば以下のような表現がよく出てきます。

 

「こんなものか」

「やりきったのか」

「もっとよく考えろ」

「もっと頑張らないと」

「休んでていいのか」

「恥ずかしい」

「成果を出せ」

「死にたい」

「恥ずかしい」

 

食器を洗っている時、シャワーを浴びている時、ぼーっと歩いている時、自分を追い詰める声が聞こえてきます。自分の口から出てくることもあります。

 

 僕はよく「死にたい」という言葉が自然と出てきて、「いや、死にたくない」「死にたい」とブツブツ言っていることがありました。

 

 なんらかのアディクション・依存症になる人というのは、こういう病を抱えていることが多いと感じます。倒れるほどに予定を詰め込んだり、読みたくもないのにtwitterを開き続けたり、お酒を飲みながら漫画を読んで頭と目が限界まで疲れたら気絶するように眠る。

 

 何もない時間を作ると、死にたくなるからです。

 GADHAに参加する人の中にも、セックスやギャンブルなどの強烈な刺激によって自分の処理能力を限界まで使い続けていないと生きることに耐えられない人がたくさんいます。自己否定の感情に向き合うのが恐ろしいからです。

 

◆「このままの自分でいてはならない」という強迫観念

 自分の人生には、常に異常な成長欲求がありました。その優越欲求の背後にあるのは激烈な自己否定感。つまり「このままの自分でいてはならない!!」という脳内に響き渡る声がありました。自分はどんなに仕事ができても、能力を褒められても、人間としての魅力は全くないと思って生きてきました。自分の本当の姿を知ったら誰も自分を愛してはくれない、という不安が常にあるのです。

 

「自分は天才だ! なんてすごい人間なんだ!!」と思ったかと思うと、なにかで躓いたら「自分なんて生きる価値のない愚かな無力な人間だ、恥ずかしい……死んだほうがいい、死にたい」とうめきながら朝からアルコールに浸る自分はジェットコースターのような日々を生きていました。

 

 連続飲酒に至るまでアルコールを飲み続けていた時期の僕は、もう正気でいることに耐えられなかった。自分のダメさや弱さ、どうせ捨てられてしまうという恐怖、ハリボテの自信はいずれ全員にばれる日が来るという絶望があったのです。

 

◆成功者がするようなことをしてみたかった

 何か恋愛や仕事で嫌なことがあると、そういう不安や悲しみの感情に圧倒されていました。お金を月に何百万円と稼いでもまったく関係なかったどころか、稼ぐほどに大きくなる虚勢やフィクションが崩れ去るのが恐ろしくなっていきました。

 

「どうせ何もかもダメになる日がくるのかもしれない」と思うとお金遣いも異常に荒くなり、妻には心配され続けていました。高いホテル、レストラン、ガジェットなどに散財すると賞賛されるべき人間になった気がして頭が麻痺して不安にならずに済みました。

 

「成功者がするようなこと」をしたかったのです。今思えばその成功者というイメージはあまりにも薄っぺらなものでしたが、自分はそれでもよかった。どこかで愚かなことをしていると明確に気づきながらも、人にマウンティングを取りたかったのです。

 

 この頃には人に何かをおごりたがり、高いものをプレゼントしたがりました。相手のためなどでは決してありません。自分の権力を、パワーを証明するためにやっているだけなのです。案の定、妻はそれを感じ取り、決して僕からの贈り物に喜ぶことはありませんでした。

 

 妻が求めてもいないことをしては「なぜ喜ばないんだ!」と悲痛に叫んでいたのを思い出します。妻からすれば、僕はほとんど病気に見えていたと思うし、後からそう言っていました。

 

◆正しさへのアディクションとしての暴力

 被害者の方から「加害者は責めるとき異常な表情になり残忍な喜びの表情を浮かべる」と聞きます。僕も妻から、「爬虫類のような目、全く別人のような顔になる」と言われていました。

 

 このときの記憶は非常に曖昧になり、次の日には言った言葉もほとんど忘れてしまいます。よく加害者が記憶を飛んでいるのを「嘘ではないか」と思う方がいますが、少なくとも僕の場合は本当に記憶が飛んでいました。

 

 アルコールを飲んでいる時のブラックアウト、すなわち意識が飛んでいる状態に極めて近いのです。脳内麻薬が強烈に出ているのか、一種の解離状態になっていて、思い出せないがために反省もできないという最悪の状況になっていました。

 

 どんな時に加害者は人を責めるのでしょうか。それは、自分の弱さや愚かさに向き合いたくないときです。目の前の自分にとって不都合な現象の責任を誰かに何もかも押し付けたとき、自分がこの苦しい現実から遠く離れることができるのです。

 

◆人を罰して裁く快感と引き換えに失うもの

「無罪」になりたい。正しさを自分のものとしたとき、強烈な気持ちよさがあります。人を罰するとき、裁くとき、自分はとめどないドーパミンとアドレナリンに酔っていました。その時のことを思い出すと、何か胸に(今となっては恐ろしいので不快な)高揚感があります。

 

 人を支配し世界のすべての道理を自分と一体化させる時、人は抗い難いほどの快楽を覚えます。だから加害者は「自分が正しい」「相手が間違っている」「傷つけられたから自己防衛だ」と残忍にニヤついた笑いを浮かべながら攻撃をするのだと今では考えます。

 

 攻撃することで自分の弱さ、不完全さ、傷つきから目を背けているのです。だから、加害をやめたくてもやめられない。強烈な快感が忘れられない。それによって愛する人が離れてしまっても、それでもやめられない、どんどん悪化していく、自分もやめたいと思いつつ、快楽に抗えない。

 そうして、加害者は孤独になります。

 

◆DVやモラハラは自己否定を回避するための依存症

 星の王子さまに出てくる「飲んだくれ」の有名なセリフを思い出します。

「ここで何してるの?」

「飲んでんだ」

「なんで飲むの?」

「忘れたいんだ」

「何を忘れたいの?」

「恥ずかしいのを忘れたい」

「何が恥ずかしいの?」

「飲むのが恥ずかしい!」

 

心の底から、この飲んだくれに共感できます。

 DVやモラハラを、行動に関するアディクションとして理解できると思います。そしてこれらの全ての始まりは強烈な自己否定、存在の不安からきているとも。

 

 でも加害者はそれを自覚もできない。もっとすごい自分、もっと特別な自分、いまここにいない自分を追い求めて必死に生きてきた。褒められたかった。賞賛されたかったのです。

 

◆目の前の人も、自分自身すらも直視できていなかっ

 自分の弱さを「これは自分じゃない」と切り離し、攻撃し、捨てようとしました。でもそれは自分なので、攻撃して、責めて、変われ、さもなくば死ねという言葉は、全て自分の中で跳ね返り、頭の中でずっと反響します。

 

 ここもダメ、あそこもダメ、満足するな、もっと変われる、成長できる、努力が足りない、もっと頑張れる、こんなんじゃダメ、もっとすごい人がいる、と。

 

 生きてきた中で「いま・ここにいる自分」じゃない、何か理想や役割を僕の後ろに幻視されて、その差分を言及されてきました。そのような意味で、自分はいつも不十分な存在でした。

 このままの自分でいるのがずっと怖い。でももっと怖いのは、それを人にもやってしまっていたということです。僕も相手に、妻に、理想や役割を幻視して「目の前にいるあなた」をみることができませんでした。

 べき、ねば、正解、当然、普通、当たり前という言葉でもって「目の前にいるあなた」から現実を始められなかった。

「幻視した何か」から現実を構成し、現実と外れた「目の前にいるあなた」を責めた。幻視した自分と比較して自分を責めるのと同じように、幻視した理想と相手を比較して相手を責めました。

 

 だって現実の相手を見ていないから。二人で話しているのに現実の自分を見ていないというのは妻にとってどれだけ苦痛だったでしょうか。これこそが究極の存在の否定、加害です。

 

【えいなか】

DV・モラハラなどを行う「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:えいなか