皆さまーっニヤニヤ

 

 

先ほど、

大ハッスルで完成した

ブログがっ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

文字数オーヴァー、

というエラァ発生、

絶望の淵に立たされ、

心で号泣しながら笑い泣き笑い泣き

ようやく、

断腸の想ひでふたつに

引き離しハサミましたので、

順に投稿いたしますーっビックリマーク

 

 

 

 

カラーパレット  カラーパレット  カラーパレット

 

 

 

お待たせいたしましたーっニヤニヤ

 

 

ようやく

お知らせが出来まするデレデレドキドキ

 

 

 

面白いよー、

絵画見るのを楽しもう!

 

ヴィオ・優美です!

 

 

 

 

ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道ポチリ

 

 

クリムト展ポチリ

 

 

 

この、ほぼ同時期に開催、

今も多くの人が訪れている

これらの展覧会を総括した

楽しい講座、と、

 

「クリムト展」の、

レクチャー付き美術館同行ご案内、

 

 

ふたつの開催のお知らせですーっ!!

 

 

 

 

まずは…。

 

 

ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道ポチリ

 

 

この展覧会の4月24日、

会期初日に、

 

展覧会の監修者でもあらしゃり、

今回の出品のほぼ全てを所蔵する

ウィーン・ミュージアムの、

ウルズラ・シュトルク副館長による

特別講演を聴講して

参ったのだけれど…

 

 

19世紀末にこの美術館が

立ち上げられた頃の

社会的背景や、

先駆者たちは誰だったのか?

 

…に主体を置いて、

 

絵画や、

当時、ヨーロッパ中で

大流行し始めていた

グラフィックデザインなどは

もちろんのこと、

 

建築、家具、

食器や多岐にわたる雑貨、

衣裳…

(モダンで可憐な魅力たたえた

ドレスや、クリムト、その人が

来ていたスモックなどもっ…!)

本当に幅広いジャンルに

渡っての作品収集や

展示に関してのよもやま話や、

 

多くの作品たちの中でも、

ぜひここはっ!

 

…なる見どころを

目いっぱいに含んだ

盛りだくさんのお話に、

口をぽかぁぁんと唇開けたまま、

乾燥させながらっデレデレパサパサ

 

…聴き入るあたくしに

ござりますた…。

 

 

〜個々の作品の画像がなかなか拾えず、

こちらの公式のリーフレットを拝借ーっ〜

 

 

こちらをちょこりと

ご覧いただくだけでも、

この、

天井高く、

心地よい広き展示室に

どれだけの世界が広がっているか、

想像していただくこと、

できるかと存じまする。

 

 

 

会場で入手した作品リストから

出品総数を数ようとするも、

通し番号が振られているでなく

文字もとても小さいので、

 

いぃちっ1

にぃいっ2

 

…と数えとるうちに雑念浮上、

迂闊にも指の差し位置上差し

つるっとずらしてしまうっ、

 

…なる愚行を繰り返し、

何度やっても

最後まで数えきれず仕舞い笑い泣きトホホーッ

 

 

 

こんなんがははは、8ページッ本

 

 

概算、ではござるんだけれど、

その作品数、およそ

300〜400点にのぼるかとっ…滝汗ノァニーッ!!

 

 

なので、

ここでのご紹介はごくごく

一部、となります。

 

 

 

マルティン・ファン・メイテンス描いた

1744年のこの作品、

 

啓蒙主義を高らかに掲げ、

ウィーン・ハプスブルグ家の

実質的女帝として君臨し、

多くの子を産み、育て、

かの(どの)

マリーアントワネットの

ご母堂としても有名な

マリア・テレジア(1717〜1780)と、

その頭上には彼女の長男である、

まだ幼きヨーゼフ2世の姿もある

壮麗な肖像画、から

この展覧会は幕を開け、

 

 

前述の、

 

多岐にわたる多くの作品たちが

配置され、その

目まぐるしいほどの

美しく長い路を

楽しみながら

歩み進んでゆくと現れる、

 

 

 

 

クリムトの生涯のパートナーであった、

彼の早世した弟・エルンストの妻の妹であった

エミーリア・フレーゲの肖像、

1902年の作品。

世間では高評価を得たこの作品、

実は彼女自身が

あまり気に入っていなかったとのこと…。

〜おぉっニヤニヤ

この作品は、会場で撮影が可能ですよっ!!

 

 

 

…私ね、彼女の気持ちが…

わかる気がしたんだ。

ここでこんなこと書いては、

批判を浴びてしまうやも

しれないけれど…

 

どこかね、ここには彼女の

”生気”

がないように感じて

ならなかったんだ。

 

 

クリムトは、実に

多くの女性と付き合い、

描いたんだけれど、

それぞれに対し愛おしむ気持ちは

確かにあったのだと思うし、

 

中でも生涯、離れることなく、

最期の言葉も

「エミーリエを呼んでくれ」

だったと言われる彼女に対しては

特別な想いを抱いていたはず、

 

なのに、

 

このエミーリエからは…

クリムト自身の

”温度”

が、どうしても…

感じられない気がする。

 

でもね、

深い藍の空間に

細い肢体で佇む彼女は

確かに美しい。

 

エミーリエは、

クリムトにこの時、

本当は

どんなことを望んでいたんだろう。

 

 

 

 

クリムトの弟子的な位置付けと

されながらも、クリムト自身が

この若き才能をいち早く見抜き

支援し、ある意味、

敬愛もしていたとも感じられる

(そんなエピソードもあるよニヤニヤ

エゴン・シーレの、

繊細すぎるほど繊細な内面が、

その、

まるで震えたような筆に

表れたような

1911年作の自画像。

奇しくもふたりは同じ年に、

それぞれ55歳と28歳で没した。

 

 

 

 

…まだまだ展示作品は続きますが、

ここでのご紹介は

このあたりまでで…笑い泣きオユルシヲバッ

 

 

 

 

「クリムトとウィーン・モダン」の世界をご一緒に楽しみましょう!〜其の弐〜ポチリ

 

へ続きますーっニヤニヤビックリマーク

 

 

(画像はすべて、お借りしております)