MARCとミルベゼ 最終日 | ミルベゼ 横山千晶オフィシャルブログ Powered by Ameba

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バイオリニスト横山千晶のブログです。
mille baisers(ミルベゼ)というユニットを組んで活動しています。

12月15日

空港まで送るために、ホテルに迎えに行ってマネージャーの運転する車に乗った。

車の中で
『この曲とこの曲を今度三人でやろう』とMARCが私に言ってくれた。

私はそれが「また必ず会えるしまた必ず一緒に演奏しよう」の約束みたいですごくすごく嬉しかった。

MARCの家族の話も聞けたりした。
5人兄弟の2番目だということが判明!わたしも5人兄弟の2番目だったから同じで嬉しかった。

MARCがスイスのジュネーブあたりで演奏活動していたときと、そこからパリに移ったときの話なども聞かせてくれた。
私もスイスのジュネーブに二ヶ月くらい住んでたことがあるよって話して、
どうして?って言われたので
そのときは毎日が面白くなかったから、今の生活を変えたくて。と伝えた

そしたら、そうかそうかよく分かるよ
と言ってMARCも自分の話をしてくれた。

ジュネーブでは自身のバンドを持っていて、あらゆる有名なホテルで演奏していたらしい。
でもオリジナル曲ではなく有名なカバーばかりやってたそうで、要するに営業仕事のみの生活だったらしい。
毎日たくさんたくさん働いて演奏して、たくさんお金をもらったけど
このままの人生は嫌だと思ったらしい
それでパリに行くことにしたんだそうです。

パリに行ってからは逆にお金は全然稼げなかったけど、そのかわりたくさんの音楽に出会ってMARCは自分のオリジナルアルバムを作り始めたそうだ。自分の音楽をやっとやれるようになったって感じだったんだと思う。
そのアルバムが私の人生を変えてくれた1枚
『Les couleurs d’ici 』っだったんだね〜

いろいろ苦労してきた人なんだろうなって分かるよ。だからこそこんなにまわりの人にいつも思いやりがあって、音楽との向き合い方も真摯だから。

パリに行ってからいろいろ大変だったみたいなんだけど
『今は本当に幸せ。きれいな家も持ってるしそこに大切な家族もいる』と言ってた。

いつかもっと深く話したいなと思った。
でも、
約1週間前もこの空港にいたけどそのときはそんなにいろんな話できなかったのに、今はこんなにたくさんのことをお互い話せて、知ることができたしすごく親しくなれたと思って、この1週間の濃さを噛み締めた。

そろそろ行かなきゃの時間が来て
我慢してたけど見送るときはやはり号泣してしまった。
とにかく寂しかった。MARCはまた必ず会えるよと言ってハグしてくれた。
保安検査所を通るまでの並んでる間、私たちが見えなくなるまで何度も何度も振り帰ってこちらを見て笑っていた。
入り口に到達して見えなくなるときも、大きく手を振って笑っていた。

あー、行ってしまったな…
メソメソ涙を拭いていたら、小久保くんが私の肩をポンっと叩いてきた。だいたい言いたいことはそれで分かったので恥ずかしいから泣くのをやめた。

飛行機の出発前にMARCがメールをくれた。

『無事に搭乗口に着いたよ。すべてのことをありがとう。またすぐに会おう。大きなキスをちあきとノリに。体に気をつけて、今夜のコンサートもがんばってね。』

そして私はMARCロスの寂しさで廃人となったのでした。

帰国後もメールをくれた。
『素晴らしい2つのコンサートをありがとう。そしてあなたはわたしのことを一生懸命面倒見てくれてありがとう。音楽と友情のこの素晴らしい1週間に本当に感謝しています』的な内容。

40年後私が70歳のおばあちゃんになって、バイオリンを弾いてるかどうかもわからないけれどもし生きて話せてる状態だったら、きっと私はこの一週間のできごとを、誇らしく幸せそうにみんなに話すでしょう。
以上、MARCロス廃人ができるまでのブログでした。

最後まで読んでくれてありがとう


おわり