尚子の机

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書くことを楽しみながら、
日々の考察を書いていこうと思います。


よろしければお付き合い下さいませ。

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今の日本語で「推し」というものがある。

自分の好きな対象を応援する、広く社会に推薦することを指している。

今や普通に耳にする言葉だが、私が子供や若い頃にはこれほど使われていなかったと思う。

 

新しい話し言葉としてずっと引っかかっていた。

 

これは以前「ファン」という言葉で表されていたものではないだろうか。

ファンと推し。

何かが違うから「ファン」よりも「推し」が多用されるようになったのだろう。

では両者は何が違うのか。

私が思うに、「ファン」は事象の主体が応援される側にあり、「推し」は応援する側にあるように感じる。

 

「ファン」は対象について行く感じがするが、「推し」は対象を動かしているのである。

それだけ個々人の存在の重さが平等になり、一部の特別な存在と大衆の差がなくなったのかもしれない。

さらに「ファン」は細分化して「フォロワー」「サポーター」もある。

「フォロワー」は追従者、「サポーター」は支援者である。この二つが従来の「ファン」に当たるのではないかと思う。

 

日本語には「ひいき」もあった。

「ひいき」はファンより庶民的で身近な印象がある。

「ご贔屓」はしかし応援される側が応援してくれる人を指して言うので、主従関係が逆な視点である。

 

話しがじわじわと広がってしまったが、どれも現在の「推し」に対する妙に新鮮な違和感に繋がる。

 

似たような考察を英語でも聞いたことがある。

イギリスの大衆文化に関する講義で「セレブ」は従来の「スター」である、何が違うのか、という話であった。

詳細は忘れたが、同じ憧れの対象でも、社会の受け止め方が変わって使われる言葉が変化した例として共通項が見られる。

 

また、「ファン」より「推し」「フォロワー」「サポーター」の方が熱量が多いように感じる。

「ファン」は「熱狂的な」を付けないと強さを表せないのに対して、「推し」はそれだけで能動的に動いている印象を受けるのである。

 

陳腐な落ちであるが、自分のことに忙しい私は「ファン」くらいがちょうど良い。

「推し」として「推し活」する特定の他者に割くエネルギーがないと感じる今日この頃である。