最近、この世界のあり方についての

とてもわかりやすい例えを聞いたので

忘備録として残しておこうと思います。

 

私たちの人生は

器が幾重にも

フィボナッチ数的に

重なった状態という例え

 

わかりやすく言うと

大きなお椀の中に、

入れ子状に小さなお椀が

いくつも入っている状態

 

一番内側の小さな器は

赤ちゃん時代を表している。

そして幼少期はもう一つ外側、

もう少し成長すると

もう一つ外側というふうに

成長に応じて

器はだんだん大きくなっていく

 

一つの器にいる間は

ずっとその中をグルグル回っている

 

そして、器の下から

回転しながら登っていき

その器を出る時が来ると

淵からジャンプして

次の器に移る

 

たまに、次の器に移る時に

器の境目に落ちてしまうこともある

そこは奈落の底(闇)だが

いずれ這い上がり

次の器に移ることができる

 

自分より内側に内包している

小さな器のことは解るけれど

外側の器のことは解らない

 
自分から外の器に出ようとしなければ
今の器の中で
いつまでも回り続けるしかない
(そこが心地良くて出ようとしない場合も多いだろうけど)
 
そしてそれはまるで太陽系のように
大きさの異なる器の中では
時間の長さも違う
(地球と冥王星のように)

 

私たちは自分の一生の中で

どこまでの大きさの器に

たどり着けるのだろう・・・

 

 

そしてこの例えは

同じ器の中にいる人同士は

わかり合えるのに対し

内側の器の人は、

外側の器の人のことを理解することが

不可能だということも示している。

 

そのように俯瞰して世界を捉えると

全てが同時に存在していること

そして、過去に囚われることの

無意味さがよく解る。

 

 

 

ねこへびねこへびねこへび

 

 
先日二つの作品を仕上げましたが
早速次の作品に取り掛かろうとしています。
 
またしても
何でこんな難しいことを
やろうとしてしまうのか・・・
(しかもめっちゃお金もかかるネガティブ
 
もっと他の人のように
普通に絵具で描けばいいじゃないかと
心の中でつぶやく自分もいるのだけれど
何故だか、それは
根本的に違うと
自分を超えた存在に
言われているような氣がしてならない
 
そして私の場合は
それが、新しい器に移ることのできる
パスポートのようなものなのかもしれません
 
それを信頼することができるのは
自分しかいないのだから
結果がどうあれ、やるしかないんだな。。
 
 
ところで、この間から
また不思議な現象が
自分の身に起きているので
これも残しておこうと思います
 
先日、いつものように
庭に自転車を停めて
ふと、雑草だらけの足元に目をやりました
 
そこはたまたま
クローバーが生えていたのですが
一本の四つ葉のクローバーが
何故か、ちぎれた状態で
足元に落ちていたのです
 
とりあえず拾って帰って
テーブルの上に置きました
(そのまま放置していたので干からびてしまいましたがネガティブ




 
その後うちに来たよしきさんに
そんな事普通ありえないでしょう、と言われました
 
その何日か後
また庭に自転車を停めた時
ふと下を見ると
また四つ葉のクローバーが・・・
 
いままで特に探したこともないので
自分で見つけたことなんて無かったのですが
 
それから何故か
目を向けたところに
四つ葉のクローバーがあったり
そこまでではなくても
ちょっと探すと1分もしないうちに
見つかるのです
 
 
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同時に二つ発見したり
 
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六つ葉もありました
 
 
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とりあえず水にさしてます・・・
 
何かの回路と繋がったのか?
(ちぎれた四つ葉はその合図として
何処からか転生してきたのか?)

それとも単に
たまたまうちの庭には
四つ葉が多いだけなのか
そもそも四つ葉なんて
普通に生えているものなのか
よくわかりませんが・・・
 
こっちはあまり
深追いしないでおこうと思います昇天

【追記】

今朝起きがけに
四つ葉についての言葉が
入って来ました

『ちぎれた四つ葉はプレゼントですよ』
『わたしたちは見ています』
『共にやっていく印です』
『四つ葉は十字架、そしてロザリオでもある』

ありがとうございます✨