原発が無いと江戸時代に戻る?日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年(昭和38年)10月26日です。何で江戸時代に戻るんだよ!
ゾンビ映画というジャンルがある。代表的な作品は、ジョージ・A・ロメロ監督によるものだが、その後も、現在に至るまで、様々な作家により続々と新作が作られている。基本的には、死者がゾンビ(リビングデッド)となり動き出し、生きている人を襲い、襲われた人もゾンビになり、また人を襲う、というものである。いろいろとバリエーションはあるようだが、その基本設定は、大きくは変わっていないようである。ゾンビ映画のルーツは、もちろん吸血鬼映画である。吸血鬼が人を襲い、襲われた人もまた吸血鬼になって人を襲う、というものである。ゾンビ映画も吸血鬼映画も、真の恐怖は襲われて命を落とすことではない。命を落とした後、自分が未知の存在(ゾンビあるいは吸血鬼)になってしまうことにある。つまり、死以上の恐怖として描いているのである。そういう意味では、宇宙人による侵略を描いたジャック・フィニイ原作『盗まれた街』の映画化作品群も共通している。ただ、現実問題としては、ゾンビに襲われることも、吸血鬼に襲われることも、宇宙人に襲われることも、ほとんどない。いや、多分、全くない。架空の設定だと、リアルな恐怖とはかけ離れてしまう。では、なぜこういう映画が作られ続けているのだろうか。はっきり言えば、これらは共産思想の広がりに対する恐怖なのである。ゾンビ、吸血鬼、宇宙人の侵略は、共産思想のメタファーなのである。そう考えてゾンビ映画を観ると、3倍くらい楽しめると思います。
7月中旬で、これほど涼しいのは、ちょっと記憶にないくらいです。やはり今年は冷夏傾向のようです。確かに今年も単発では暑い日もありましたし、そのことをメディアで大々的に報道しているようですが、昨年の猛暑とは比較にならないレベルだと私は思っています。その根拠は、夜の気温です。昼間、いくら暑くなっても、夜は気温が下がっているからです。ここ数年の猛暑は、夜も気温がほとんど下がらず、寝苦しい状態が続きました。昨年の場合、5月頃からそういう夜があったのですが、今年は、7月中旬の現在まで、あまりなかったと思います。これからもっと暑くなるとは思いますが、スタートが遅れた分だけ、猛暑の時期は短いのではないかなと思います。最近、メディアの天気予報で、「明日は強烈な暑さ」という報道が何回もされましたが、当日はそれほどでもなかった、ということが何度もありました。ちゃんとデータをとっていないので検証はできないのですが、やはり情報操作を目的とした偏向報道がされているように思います。例年と比較して、涼しいことはニュースにならず、例年並みに暑かったことだけニュースになっているという異常さに誰も気がついていないのでしょうか?熱中症の予防は重要です。そういう意味では、メディアが熱中症対策を呼びかけるのは正しいです。しかし、熱中症対策に必要なのは、水分補給だけです。クーラーの使用などは関係ありません!どさくさにまぎれて、クーラーを適切に使用しましょう、みたいなことが言われていますが、じゃあ、クーラーがない家は死ねというのか!江戸時代には誰もクーラーなんて使っていなかったんだ!重ねて言いますが、熱中症予防に必要なのは、水分補給だけです。クーラーなどは必要ありません。熱中症予防にクーラーを、というのは、原発推進側のスリコミなのです。今年は平年並み以下の暑さなのに、それを猛暑であるかのように取り繕っているメディアは、原発再稼動のためのシナリオに基づいているのです。原発推進側にとって、冷夏になってもらっては困る理由は、もうひとつあります。それは、原発が稼動していないことによって、温排水の影響がなくなっているということを表面化させたくないのです。日本の原発の温排水は、1日に広島原発100発分という強力な熱量で、日本近海の海を加熱し続けてきました。しかし、原発稼動がゼロとなった現在、その熱量がなくなったのです。当然、環境にも影響が及びます。今年の冬の厳寒、大雪も無関係ではないでしょう。今年の夏も急速に終わり、気温も低下することでしょう。そしてこれから迎える冬は、とてつもない寒さになるような予感がします。

「集団的自衛権」という言葉は、「自衛」という文字が含まれているため、「自衛」の一種だと勘違いする人が多いようです。政府もそう説明しています。しかし実際は「自衛」ではありません。自国が攻撃を受けていないのに、こちらから攻撃するのです。つまり「先制攻撃」をするということです。「先制攻撃」という言葉のイメージをごまかすための詭弁なのです。

「アメリカの若者が血を流しているのに、日本の若者は血を流さないでいいのか」という言い方がされています。いや、そもそも誰も血を流してはいけないのです。アメリカの若者が血を流すのならば、それを未然に防ぐために非暴力で何ができるのかを模索するのが日本の役割であるはずです。いや、はっきり言えば、アメリカの若者よりも、アメリカの侵略によって血を流している弱者を救うことの方が重要でしょう。「アメリカの若者が血を流しているのに、日本の若者は血を流さないでいいのか」という論理を受け入れてしまえば、次に来るのは、「自衛隊が血を流しているのに、その他の日本の若者は血を流さないでいいのか」という論理です。これが徴兵制の論拠になります。

放射能と放射線と放射性物質の違いがわからない人が、まだまだたくさんいるようです。行政側は、その違いを丁寧に説明する気など全くないようです。そのまま放置しておいた方が、ごまかしが効くからなのでしょう。例えば鼻血問題。あの程度(福島原発事故)の被ばくで鼻血が出ることはありえないという説がまかり通っています。もしあの程度の被ばくで鼻血がでるのならば、放射線量被ばく量がもっと高い宇宙飛行士も鼻血を出すはずだ、と暴言を吐く人がいます。このロジックにどういうゴマカシがあるかわかる人は手を挙げて!そうそう、その通り!福島原発事故での被ばく量の実態は、誰にもわからないのです。計測不能だからです。拡散した放射性物質が、どれだけ付着したか、もしくは吸引したかは、一人一人全く違うからです。被ばくとは、放射性物質が発する放射線が、人体に到達することです。宇宙飛行士は、確かに放射線を浴びていますが、その放射線を発する能力(放射能)を持つ放射性物質は、遥か彼方にあるので、計測可能だし、あらかじめ防御対策もとれます。しかし福島原発事故の場合、放射性物質が環境中に流出してしまったために、もはやコントロール不能なのです。被ばく量は、放射性物質からの距離に比例しますから、放射性物質を鼻腔に吸い込んだ場合、もの凄い被ばく量になるのです。当然、鼻血も出るでしょうし、鼻血として排出されなければ、内蔵に入り、もっと深刻な被ばくが続くのです。モニタリングポストが示す線量は、その地域のひとつの基準ではありますが、人体に放射性物質を吸引した場合は、遥かに高い被ばくをするという事実を理解していただきたいと思います。

集団的自衛権行使が閣議決定され、これから自衛隊関連法が改正されてゆく。衆参ともに与党が多数なので、特定秘密保護法と同じく、簡単に可決されてゆく。自衛隊という職業は、以前とは全く違うものとなる。死ぬ確率が圧倒的に高まるのである。当然、自衛隊に入隊を希望する若者は減少する。それでは国が守れないという論理で、徴兵制が復活する。ああ、その先を考えるのも厭だ。

株式会社は、慈善事業ではありません。どんなに綺麗ごとを言っていても、第一の目的は利潤の追求です。だから福祉の分野を株式会社に解放することにはリスクがあるのです。例えば、保育所事業経営で利潤を追求するとなると、敷地はなるべく狭く、保育者の人数はなるべく少なく、預かる幼児の人数はなるべく多く、という方向で最適化されます。つまり保育の質が低下するのです。狭い劣悪な環境で、まるでブロイラーのように幼児を管理することになるのです。もちろん利潤追求のためには、社会的評価を得ることも必要ですから、大事故を起した企業は淘汰されるため、一定の歯止めは効くかも知れません。高い保育料の高級志向の保育所から、安さを追求した激安保育所まで、選択肢は増えるでしょうが、貧困層にとっては、なるべく保育料の安いところを選ぶことになるので、多少のリスクを覚悟しなければならなくなるのです。本来、福祉サービスは、貧富の差ではなく、等しく受ける権利があるものなので、経済的市場原理を持ち込んではならないのです。公正取引委員会は、株式会社が保育所事業に参入しにくい状況があるとして、「国や自治体は認可の条件を公平にして、株式会社も含め多様な事業者の参入を促すべきだ」とする報告書をまとめた、というニュースがありました。待機児童、保育所不足が大きな社会問題になっている背景を利用して、怖ろしい規制緩和がされようとしています。

民放局のTVドラマは「主演が誰か」ということが視聴率を大きく決定付ける、とされている。だから、最も人気があり、かつ旬と思われるタレントが選ばれる。そもそも視聴率が取れるタレントを主役に迎えなければ、企画が通らない。スポンサーが付かないからである。TVドラマ『名もなき毒』は、2013年7月から9月までTBS系で放送された。主役の小泉孝太郎は、俳優としてそこそこの実力があるのかも知れないが、大して人気があるわけではない。常識的に考えて、民放ドラマで主役を張れるクラスの俳優ではない。その小泉孝太郎が、突然ドラマの主役に大抜擢され、大宣伝が繰り広げられた。この時期(2013年7月から9月)のちょっと前、2013年6月頃、書店の目立つ場所に、小泉進次郎関連書籍が並んだ。『小泉進次郎という男』(別冊宝島編集部/宝島社)、『小泉進次郎の闘う言葉』(常井健一/文春新書)などである。つまり、小泉進次郎を売り出すタイミングに合わせ、兄が主演するTVドラマが放送されたのである。偶然としては出来過ぎである。そして、その直後、同年9月に、二人の父である小泉純一郎の「脱原発発言」が大きくクローズアップされた。同時期に、進次郎が内閣府大臣政務官と復興大臣政務官に就任した。この一連の流れは、結果的に小泉親子三人のイメージアップにつながっている。広告代理店を巻き込んだマルチメディア戦略であったことは明白だろう。小泉家のイメージ戦略は、小泉父の都知事選での敗北あたりで一段落した。そして今、小泉長男の『名もなき毒』が再放送されるという。それほど高視聴率でもなく、DVD販売も終わっているドラマの再放送なので、話題性はゼロだろう。しかし再放送に合わせ、下記サイトのような提灯記事が書かれている。つまりこれから小泉一家劇場の第二幕が始まるということだ。小泉父、小泉次男の動向に注意しよう。


小泉孝太郎がめっちゃハマり役。宮部みゆき映像化傑作「名もなき毒」再放送を見逃すな

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140624/E1403548369499.html

映画を観に行って、終わったらクレジットタイトルが流れます。あなたはそれを最後まで観ますか?途中で退席しますか?私は一応、最後まで観ます。でも、欧米の観客は、退席することが多いようです。なぜでしょうか。それは観客にとって観る価値のないものだからです。それを理解している欧米の観客が退席するのは、当然のことです。むしろ、日本の観客が、表示されているクレジットタイトルの意味も理解できないままに、最後まで席に着いているということの方が、世界レベルで言えば、奇妙なことであり、日本人の律儀さの一面が感じられます。では、映画のラストに流れるローリングタイトル、クレジットタイトルとは何なのでしょうか?その意義については、ハリウッド映画と日本映画では全く異なります。ハリウッドの場合、歴史的な数多くの労働闘争によって、クレジット表示を義務付けるという権利を、労働者側が獲得したのです。だから、スタジオ側からしたら、うっとうしいものでしかない。義務で表示しているのだから、作品的には何の価値もない。観客もそれをわかっているので、退席するのです。では日本の場合はどうか。日本映画には、クレジット表示の義務は、法的にはありません。だからクレジット表示をしなくてもかまいません。では、なぜ日本映画にもクレジットタイトルがあるのかというと、それは、ハリウッド映画を真似しているだけなのです。いや利用しているのです。クレジットタイトルに名前を入れる、御社のロゴを入れるということで、協力をとりつけるようなことが横行しています。それによって、本来支払われるべきギャランティが踏み倒されているのです。