高倉健さんが亡くなったというニュースがあったのは、11月18日であった。
この日は、安倍晋三が衆議院を解散すると明言した日であった。
菅原文太さんが亡くなったというニュースがあったのは、12月1日であった。
この日は、衆議院選挙公示の前日であった。
お二人が亡くなられた日はそれらよりも前なので、この発表のタイミングの見事さに敬服してしまう。
偉大なる人を二人も失ってしまった悲しみは、受け止めるしかないが、
その見事な最後を後世に語りつぐのが私の世代の使命なのかも知れないと思う。
さて、国民栄誉賞である。
国民栄誉賞は内閣総理大臣表彰のひとつであり、それを国民的な人気者に授与することで、
内閣総理大臣の手柄となるシステムである。
高倉健さんに国民栄誉賞が授与される、という話が出ている。
安倍晋三にしてみれば、高倉健さんの業績に便乗する千載一遇のチャンスであろう。
しかし、その直後に菅原文太さんが亡くなった。
どうする安倍晋三。
1)高倉健さんに国民栄誉賞を与え、菅原文太さんには与えない
2)高倉健さんと菅原文太さん両者に国民栄誉賞を与える
3)どちらにも与えない
さあどうする安倍。
映画スターとしての高倉健さんも菅原文太さんも、アウトローである。
国家権力や体制に反逆し、戦うことで民衆の支持を得たヒーローである。
高倉健さんの場合は、晩年に作風が変っているので、国民栄誉賞を授与する障壁はないと思われる。
しかし晩年の菅原文太さんは、「集団的自衛権行使」や「特定秘密保護法」の反対活動をされていた。
最後まで安倍政権と戦っておられたのだ。
さあ、どうする安倍!
今日のクソNHKのクソ『ニュースナイン』は、安倍の単独政見放送でした。
でも、それ以上のニュースとして、高倉健様の特集が組まれました。
ありがとうございます高倉健様!
もしあなた様のニュースがなければ、クソ安倍の御用メディアであるNHKは、
クソ安倍の政見放送を延々と流し続けたことでしょう。
私は、高倉健様が、安倍政権に対して、最後の殴りこみをかけたのだと受け止めました。
合掌。
『カンフーくん』という映画があった。武術の得意な中国少年と日本の泉ピン子が共演した日本映画である。2008年の公開時、ちょっとは話題になったが、ネット上には酷評が大量に投稿され、「全く観る価値のない映画」というイメージが定着した後、すぐに忘れ去られた。私自身、そういう評判を聞き、全く観る気になれず、そのまま意識の中から消えていた。B級映画を愛する私が観る気にならなかったくらいだから、実際に観た人は少ないと思う。しかし、映画は観なければわからない。ということで昨日DVDで『カンフーくん』を観たのだが、これが評判とは全く逆で、極めて良質なファミリーピクチャーだったのだ。大傑作とまでは言えないとしても、攻撃すべき愚作では全くない。荒唐無稽な話ではあるが、世界観の中での約束事はしっかりと守られており、ストーリーが破綻していない。こどもたちの日常とファンタジーの融合という難しい世界観の表出に成功していて、『ドラえもん』にも通じるジュブナイル作品になっている。ちなみに脚本は『おじゃる丸』の大地丙太郎である。ファミリー映画でありながら、アクション映画としての見せ場も充分にある。アクション監督は、現代日本映画界では第一人者といえる谷垣健治である。つまり、充分に観る価値のある映画なのだ。では、なぜ「全く観る価値のない映画」というイメージを与えられ、忘却されてしまったのだろうか。もちろん好意的な批評、感想もあっただろうが、それらはネット上に大量に投稿された酷評に埋もれてしまい、ほとんど目に触れなくなっていた。つまり、この映画が大ヒットしては困る勢力がいて、抹殺する工作をしたと考えるのが自然である。この映画が大ヒットしては困る勢力とは何か?それを解く鍵は、この映画の敵組織の設定にある。敵組織「黒文部省」は教育要領を変更することで教育を支配し、日本を支配するという陰謀を企む。そう、これはまさに第一次安倍内閣がやったことなのだ。教育基本法の改正が2006年、この映画が公開された2008年には、安倍内閣は倒れていたが、第二次安倍内閣へ向けての準備は進んでいたのだろう。だから、この映画が大ヒットしてしまうと、安倍一派にとって都合が悪かったのだろう。今、『カンフーくん』を観ると、安倍政権が教育に介入しようとする企みがよくわかる。今こそ観るべき映画だと思う。
例えば、火力発電所を新設する際に、避難計画などを考慮する必要