第65回紅白歌合戦にサザンオールスターズの出場まだ決まらず、というニュースがあるが、だまされてはいけない。本番まで僅か2日である。紅白歌合戦と言えば、入念なリハーサルをすることで知られており、すでにそれは始まっている。この時期に出場歌手が決定していないということは、まずありえない。民放の番組ならよくあることでも、NHKの紅白歌合戦ではありえない。つまり、サザンオールスターズの出場は内定しているが、何らかの理由により公表していない、というだけのことである。なぜ公表しないのか。それはサザンオールスターズが出場するかしないか、という興味を煽ることで、話題づくりをして、視聴率に繋げようという魂胆である。茶番なのである。それに歩調を合わせるように、安倍晋三が28日夜、横浜市で開かれたサザンオールスターズのコンサートを昭恵夫人とともに楽しんだ、というニュースがあった。このコンサートで桑田佳祐は、歌詞の一部を替えて「衆院解散なんですとむちゃを言う」とアドリブの「風刺」を披露し、安倍晋三は身をのけぞらせて驚いていた、とのことである。これも茶番である。シナリオはこうだ。安倍は衆院解散について、多くの批判を受けた。来年まで尾を引く可能性がある弱点である。それをあえて桑田に言わせることで、仮想対立構造をでっち上げる。そのサザンオールスターズが紅白歌合戦に出場するかどうかで緊張感を高める。結果、サザンオールスターズが紅白歌合戦に出場することで、桑田の反骨精神は骨抜きにされ、桑田と安倍の和解というイメージを国民に与える。つまり、安倍としては、衆院解散についての多くの批判を、年内に幕引きさせることができるのである。

高倉健さんが亡くなったというニュースがあったのは、11月18日であった。

この日は、安倍晋三が衆議院を解散すると明言した日であった。

菅原文太さんが亡くなったというニュースがあったのは、12月1日であった。

この日は、衆議院選挙公示の前日であった。

お二人が亡くなられた日はそれらよりも前なので、この発表のタイミングの見事さに敬服してしまう。

偉大なる人を二人も失ってしまった悲しみは、受け止めるしかないが、

その見事な最後を後世に語りつぐのが私の世代の使命なのかも知れないと思う。

さて、国民栄誉賞である。

国民栄誉賞は内閣総理大臣表彰のひとつであり、それを国民的な人気者に授与することで、

内閣総理大臣の手柄となるシステムである。

高倉健さんに国民栄誉賞が授与される、という話が出ている。

安倍晋三にしてみれば、高倉健さんの業績に便乗する千載一遇のチャンスであろう。

しかし、その直後に菅原文太さんが亡くなった。

どうする安倍晋三。

 1)高倉健さんに国民栄誉賞を与え、菅原文太さんには与えない

 2)高倉健さんと菅原文太さん両者に国民栄誉賞を与える

 3)どちらにも与えない

さあどうする安倍。

映画スターとしての高倉健さんも菅原文太さんも、アウトローである。

国家権力や体制に反逆し、戦うことで民衆の支持を得たヒーローである。

高倉健さんの場合は、晩年に作風が変っているので、国民栄誉賞を授与する障壁はないと思われる。

しかし晩年の菅原文太さんは、「集団的自衛権行使」や「特定秘密保護法」の反対活動をされていた。

最後まで安倍政権と戦っておられたのだ。

さあ、どうする安倍!

今日のクソNHKのクソ『ニュースナイン』は、安倍の単独政見放送でした。

でも、それ以上のニュースとして、高倉健様の特集が組まれました。

ありがとうございます高倉健様!

もしあなた様のニュースがなければ、クソ安倍の御用メディアであるNHKは、

クソ安倍の政見放送を延々と流し続けたことでしょう。

私は、高倉健様が、安倍政権に対して、最後の殴りこみをかけたのだと受け止めました。

合掌。

安倍政権としてはなんとしてでも消費税10%を決断しなくてはならないという至上課題がある。しかしその根拠となる景気が思うように進んでいない。ならば日銀にバズーカ砲を撃たせよう、ということである。一時的に株価は上がり、円安は進み、好景気であるかのような雰囲気にはなる。しかし問題解決にはなっていない。いくら金融緩和しても、借りた金は返さなくてはならない。ジャンジャン借りて、ジャンジャン投資するリスクは、バブルの時代に経験していることである。同じマジックに引っかかる筈はないし、もし引っかかるのだとしたら、それこそ危険である。だからこそ前総裁までの日銀は慎重だったのだ。安倍政権は日銀をコントロールすることで、経済までも破壊しようとしているのである。もうひとつ、今回の金融緩和で、大幅な円安が進んだ。これにより、化石燃料の価格がさらに上昇する。それは電気料金のさらなる値上げの根拠となり、原発再稼動の根拠となる。つまり、捨身の攻撃で原発再稼動をプッシュする、ということなのである。
イスラム国が奴隷制の復活を宣言したことがニュースになっています。私はもちろん奴隷制には反対で、決して許されるものではないと思っています。しかし、なぜこのタイミングでこういう宣言をしたのでしょうか。まず考えられる要因は、マララ・ユサフザイさんのノーベル平和賞受賞です。マララ・ユサフザイさんがノーベル平和賞を受賞したことに関しては、私は異議はありません。ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルにちなむ賞に、平和賞というものがあること自体に胡散臭さはありますが、それはこの稿で扱う問題ではありません。素直にマララ・ユサフザイさんは、ノーベル平和賞受賞にふさわしい実績があると思います。一方、この受賞には、純粋な平和という側面だけでなく、イスラム原理主義への批判、という側面を持ちます。つまり、テロとの戦争を正当化しようとしている欧米の政治的要素も含んでいます。イスラム国としては反発するしかないのであって、ある意味では、そういう状況に追い込まれたとも言えます。つまりこの行動は「駄々っ子」なのです。北朝鮮を含め、瀬戸際外交にはしばしば「駄々っ子」が出現します。さて、我々は「駄々っ子」にどう対応するべきでしょうか。単純な思考では、撲滅してしまえ!となるでしょう。報道はそのように世論を誘導します。しかし、それは何の解決にもなりません。暴力は永久の連鎖を生むだけだからです。保育の現場で考えてみましょう。仮に「駄々っ子」がいたとして、それを排除することは保育ではありません。なぜその子はそういう行動をとるのか、どう対応したら解消されるのかなどを、個別に対応することで、望ましい方向を模索するのです。保育と国際情勢を一緒にするな、という意見もあるでしょう。しかし、根底は一緒なのです。なぜイスラム国が追いつめられているのか、北朝鮮が追いつめられているのか、その歴史的原因を無視しては結論も導かれません。どちらか一方だけが悪いのではなく、またどちらか一方だけが善なのでもなく、お互いに言い分はたくさんあるのです。それらをすっ飛ばして、単純化して敵を撲滅するという思想は非常に危険である、ということも歴史が証明しているのです。

『カンフーくん』という映画があった。武術の得意な中国少年と日本の泉ピン子が共演した日本映画である。2008年の公開時、ちょっとは話題になったが、ネット上には酷評が大量に投稿され、「全く観る価値のない映画」というイメージが定着した後、すぐに忘れ去られた。私自身、そういう評判を聞き、全く観る気になれず、そのまま意識の中から消えていた。B級映画を愛する私が観る気にならなかったくらいだから、実際に観た人は少ないと思う。しかし、映画は観なければわからない。ということで昨日DVDで『カンフーくん』を観たのだが、これが評判とは全く逆で、極めて良質なファミリーピクチャーだったのだ。大傑作とまでは言えないとしても、攻撃すべき愚作では全くない。荒唐無稽な話ではあるが、世界観の中での約束事はしっかりと守られており、ストーリーが破綻していない。こどもたちの日常とファンタジーの融合という難しい世界観の表出に成功していて、『ドラえもん』にも通じるジュブナイル作品になっている。ちなみに脚本は『おじゃる丸』の大地丙太郎である。ファミリー映画でありながら、アクション映画としての見せ場も充分にある。アクション監督は、現代日本映画界では第一人者といえる谷垣健治である。つまり、充分に観る価値のある映画なのだ。では、なぜ「全く観る価値のない映画」というイメージを与えられ、忘却されてしまったのだろうか。もちろん好意的な批評、感想もあっただろうが、それらはネット上に大量に投稿された酷評に埋もれてしまい、ほとんど目に触れなくなっていた。つまり、この映画が大ヒットしては困る勢力がいて、抹殺する工作をしたと考えるのが自然である。この映画が大ヒットしては困る勢力とは何か?それを解く鍵は、この映画の敵組織の設定にある。敵組織「黒文部省」は教育要領を変更することで教育を支配し、日本を支配するという陰謀を企む。そう、これはまさに第一次安倍内閣がやったことなのだ。教育基本法の改正が2006年、この映画が公開された2008年には、安倍内閣は倒れていたが、第二次安倍内閣へ向けての準備は進んでいたのだろう。だから、この映画が大ヒットしてしまうと、安倍一派にとって都合が悪かったのだろう。今、『カンフーくん』を観ると、安倍政権が教育に介入しようとする企みがよくわかる。今こそ観るべき映画だと思う。

例えば、火力発電所を新設する際に、避難計画などを考慮する必要はありません。風力、水力、太陽光発電でも避難計画が俎上に乗ることはありません。でも、原子力発電の審査基準には、なぜか避難計画が入っています。なぜ避難計画が必要なのでしょうか?本当に安全であれば、避難計画など必要ありません。これは、大前提として、原子力発電は危険である、という証明なのです。実際、安倍内閣も、原子力規制委員会も、原発が安全だとは、一言も言っていません。安倍がよく言う「世界一厳しい基準」というフレーズ(実際は世界一厳しい基準ではないのですが)も、それをクリアしたからといって、安全とは言えないのです。安全とは言えないけど、世界一厳しい基準をクリアしたのならば、まあ、相対的に安心と言えるだろうということです。原発は危険であり、そのことは誰も否定していません。基準をクリアした原発を稼動させるということは、もし事故があった時、誰も責任をとらなくていいということなのです。誰も安全を保証していないのですから。

今夜も東京は涼しくて快適です。7月末とは思えないくらい。暑い日だけニュースになり、涼しい日は全くニュースになりません。こうやって、冷夏であっても、猛暑であるかのように偽装されているのです。
ウォルフガング・ペーターゼン監督、クリント・イーストウッド主演『ザ・シークレット・サービス』(1993年)という映画に、ジョン・マルコヴィッチ演じるテロリストが、手作りのプラスチック銃を大統領集会場に持ち込むという場面があります。あまり報道されていませんが(報道されると真似する人が増えるので)、3Dプリンターで作ったプラスチック銃の怖ろしさとは、航空機の機内持ち込みができるという点です。