円高と円安はどっちがいいでしょうか?日本で生活する庶民の感覚としては、円高の方がいいに決まっています。同じ価値のものを、日本国においては、他国より安く買えるのですから。まあ、その経済支配が、貧困国を搾取することにつながっているという高尚な思想のもとに、格差是正を求め、円安誘導するのであれば、筋が通るでしょう。しかし、現在の経済政策は、全くそうではありません。円安だと、海外をマーケットにする日本企業にとって不利である、そしてそれは、国内経済に波及する、という論理、つまり、円安の方が儲かりまっせ、という理由で、日銀の異次元介入がくりかえされ、強制的に円安傾向がつくられました。しかし、この円安傾向をもってしても、日本企業の海外での業績は、事前の予測ほど好転してはいないようです。逆に、円安になったことが、火力発電所の燃料費の増加の理由になっています。なんのための円安誘導だったのでしょうか?遠まわしですが、原発再稼動への道筋となっていることは間違いないでしょう。日銀は、円高を解消するために、異次元介入で外貨を買っています。つまり底値で買っているわけで、今、円安の状況(高値)で外貨を売れば、膨大な差益=国富を得ることができます。なぜそのことを追及する人がいないんだろう?
Q:私の家の庭はXXマイクロシーベルト/時あります。これは安全なのでしょうか?

A:政府は、20ミリシーベルト/年を強制避難基準にしています。同時に帰還基準でもあるので、それ以下であれば、住んでよい、という見解です。しかし、安全を保障するものでは全くありません。20ミリシーベルト/年以下であれば、住んでよいのかどうかは、専門家の間でも意見が分かれています。政府の見解は、安全は保障できないが、住んでもよい、ということです。つまり、安全保障の責任が放棄されている状態なのです。IPCCの勧告の被ばく量上限は、1ミリシーベルト/年です。チェルノブイリでは、1ミリシーベルト/年を越えると避難の権利が発生し、5ミリシーベルト/年を越えると強制移住です。0.5ミリシーベルト/年以上で医療支援があります。国連人権委員会は昨年、日本政府に対し、帰還基準を1ミリシーベルト/年以下とするよう勧告を出しましたが、政府は従おうとしていません。

AKB48が傷害事件にあったというニュースがセンセーショナルに報道されたのは、ちょっと前だったと思う。NHKニュースでも、「今入ってきたニュースです」という感じで、臨場感溢れる内容であった。もちろん暴力行為は許せないし、被害に遭われた方には、外傷、心傷共に、辛いものがあったと思うので、最大限のケアが必要だと思う。しばらくの活動中止、イベント中止というのが常識的判断だろう。しかし事態は全く違う方向に展開している。傷害事件があったためにNHKニュースでAKB48総選挙が報道された。もちろん、それ以前は、NHKニュースでAKB48総選挙などがニュースになることはなかったのだ。つまり、報道ネタとして格上げされたのである。ネットでも、総選挙での結果が大きな話題となり、それに続く、大島優子の卒業公演の話題も盛り上がっている。結果的にメディアへの露出効果は抜群だったのだ。現在は、傷害事件に関する報道は、すっかり姿を消した。どういうことなのだろう。あの事件が狂言であったかどうかはまだわからない。しかし現状を見る限り、限りなく商算が働いているようにしか見えない。

陶芸を生業とされている方々には申し訳ありませんが、私は陶芸も環境破壊だと思っています。縄文土器が現在でも形を保っているように、一度焼いた陶器は、もう土に戻ることはないからです。もちろん陶器は必要です。しかし、新たに生産する必要性が、どれほどあるのでしょうか。陶器は大切に使えば一生使えます。いや孫の代まで使えるでしょう。破損することがあったとしても、ほんの僅かな生産でまかなえるはずです。いや、これまでに生産した量で、充分足りるでしょう。陶器は土を焼き固めて作る、後戻りのできない製品です。だからこそ、大切に使う意識が必要だと思います。陶器を大切にするという意識があれば、カップめんなどという不経済なものが存在することの異常性に気がつくはずです。
冷夏傾向が続いていたせいか、鬼の首を取ったような勢いで猛暑報道が続いている。熱中症を予防することは重要だが、「気象庁はこまめに水分をとったり、適切に冷房を使ったりして熱中症に十分注意するよう呼びかけています」というNHK報道には世論操作のニュアンスが含まれている。熱中症対策に必要なのは、水分補給だけである。適切に冷房を使うなどは関係ない。冷房がない家庭はたくさんある。そういう家庭は死ねというのか?過去に、節電していて冷房を使わず熱中症になった、というニュースがあったが、それもおかしな報道であって、熱中症になったのは、冷房を使わなかったからではなく、水分補給をしていないからなのだ。人類が冷房を使ったのは、歴史的にはごく最近のことである。当然、冷房などなくても、人類は生存できるのだ。水分補給さえしていれば、熱中症は回避できる。これは医学の常識である。そこに冷房を使え、などと公共放送が言うこと事態が異常である。この情報操作も、原発を稼動させるための伏線なのだ。
読売ジャイアンツの前身は、日米野球のためのナショナルチームである。戦前は国威を高揚させ、戦後は、憎きアメリカをなぎ倒す姿に日本国民が熱狂した(力道山と同じ)。だから現在でも、地域に関係なく、日本全国に巨人ファンがいる。大阪には阪神ファンが多いと言われているのも、実は怪しくて、巨人ファンと阪神ファンは半々くらい(ちょっと巨人ファンの方が多いらしい)というのが実情らしい。それはともかく、巨人を中心としたプロ野球の仕組みを作ったのは、当時の読売新聞社社長の正力松太郎である。つまり、プロ野球は、国民を熱狂させ、政治から関心をそらす装置として使われてきた側面があるのだ。プロ野球自体は、スポーツとして価値があることを私は否定しない。しかし政治がそれを利用する時には、大いに注意が必要なのである。現在、プロ野球の人気は、以前ほどではない。かつてはゴールデンタイムで圧倒的な視聴率を誇ったTV中継も、現在はそれほどのコンテンツではない。観客動員も減少し、現在はどの球団も財政難である。だから近鉄が降りたとき、球団減少、選手のストライキという危機があったのである。大選手のメジャー移籍が続いていることもマイナス要因だし、そのトピック自体の鮮度も失っているので、もはやプロ野球には、買いの要素はほとんどない。少なくとも、球団数を増やすなどということはありえない。それが常識である。サッカーJリーグの例を見れば明白だが、球団数を増やしたがゆえに散漫になり、一部の熱狂的サポーター以外はついていけない領域になってしまった。それでもサッカー自体の人気がないわけではない。ナショナルチームの国際試合の視聴率は高いからだ。日本の野球も人気がないわけではない。バブルがはじけ、正常な位置にいるだけのことなのだ。16球団に増やすという計画は、もう一度バブルをつくろうという発想でしかない。こんな稚拙な政策を出す自民党も、おもしろいとか言ってる安倍●三も、全く非常識である。もっと他にやるべきことあるだろ!いや安倍はもう何もしなくていい。さっさと辞めてくれ!

日刊ゲンダイ(2014年5月17日09時26分)の報道にこういうのがあった。


解釈改憲で打ち上げ? 安倍首相がメディア幹部とすし会合- 15日夕方の会見後、安倍首相はホテルオークラで行われた自民党石原派の政治資金パーティーに出席。午後8時6分に西新橋のすし店「しまだ鮨」に到着した。安倍を出迎えたのは、朝日新聞の曽我豪編集委員、読売新聞東京本社の小田尚論説委員長、NHK島田敏男解説委員、日テレ粕谷賢之報道局長、毎日新聞の山田孝男特別編集委員、時事通信社の田崎史郎解説委員。それぞれ、自社のコラムなどを担当する編集幹部の面々だ。「時事の田崎氏は、安倍首相と何度も会食する親しい仲。毎日の山田氏は集団的自衛権行使容認派で知られ、朝日の曽我氏も同紙に珍しく、安倍擁護派の人物です。首相にすれば、解釈改憲宣言の打ち上げ気分だったのでしょう」(政界関係者)21世紀の「5・15事件」と言える“改憲テロ”の当日にまで、首相と仲良く「すし会合」とは…。メディアと権力の癒着は、のっぴきならないところまで来ている。


別に安倍が誰と食事をしようが、それは個人の自由ではある。しかし、欧米では、政府関係者とメディアとの接触は、たとえコーヒー一杯であっても、癒着の疑念がかけられることもある。日本には日本の文化があるので、そこまで欧米に倣う必要はないのかも知れない。だからこそ、不正がないかどうかの監視を緩めてはならないのである。だから私は疑う。まず疑うのは安倍内閣の支持率である。これまでどんな内閣であっても、政策の巧拙により支持率は変動していた。多くの場合は低下する。期待が高い分、失望も大きいからだ。安倍内閣の支持率の不自然な点は、ほとんど変動しないことだ。靖国参拝をしようが、特定秘密保護法案を強行可決しようが、消費税増税をしようが、法人税を引き下げようが、エネルギー基本計画に原発再稼動を盛り込もうが、解釈改憲で集団的自衛権行使を容認しようが、国会議員の給料を上げようが、支持率がほとんど変動しない。51%(過半数)という微妙なライン周辺に留まっている。しかし、個別の政策については、それほどの支持を得ていないのだ。代わりがいない、というのは、確かに大きな理由ではあるだろう。しかし、それは安倍内閣を支持する理由ではないはずだ。戦後の歴代内閣支持率を比較してみれば明白だが、この安定的な支持率は異常である。何の工作もなしに、こういうことがありえるのだろうか。誰か合理的に説明して欲しい。誰も説明できないだろう。つまり、安倍政権の支持率は、メディアコンロールによって、意図的に操作されている、というのが合理的な解答なのである。

『美少女仮面ポワトリン』の第8話に、こういう場面がある。とんかつ屋での、ある代議士と、とんかつ屋の親父との会話である。

代議士:「このあたりにねえ、リニアモーターカーを走らせようと思ってね」
とんかつ屋の親父:「へえ、それはこの町内も大喜びでしょう」

この話の放送日は、1990年2月25日であり、24年前である。24年前に「リニアモータカー誘致をエサにする怪しい代議士」が描かれているのだ。しかも、子ども向け番組にである。つまり、リニアモーターカーなどという技術は、既に24年以上前に、胡散臭いもの、という評価が確定しているということなのだ。新しくもなんともない、過去のものなのだ。騙されてはいけない。
『美味しんぼ』問題が騒がれていることは、極めて異常である。同時に、騒がないことも異常である。矛盾している。その矛盾が理解できないあなたは、やはり異常なのだ。問題は、極めてシンプルである。原発事故が起きた。大規模な放射能汚染があった。周辺住民に健康被害があった。という事実である。その事実は、おそらく多くの日本国民が共有しているはずだ。その事実の絶対量は、どういう解釈をしても、減ることはない。まずここをはっきり認識しておかなくてはならない。では、何が問題となっているのか。責任問題である。誰の責任が、どこまであるか、ということである。本来の責任者は、なるべく責任を軽減したいと考えるだろう。言い訳をして、グレーゾーンに持ち込めば、責任がある、と証明はできない。だから、グレーゾーンの曖昧な位置にいる。しかし、忘れてはいけないのは、グレーゾーンとは、責任があるかも知れないし、ないかも知れない、というゾーンなのだ。責任がない、とは誰も断言できないのだ。そのグレーゾーンにいる責任者たちが、一斉に『美味しんぼ』を攻撃している。勘違いしてはいけない。お前らは容疑者なのだ。容疑者が、もし真犯人ならば、自分が真犯人であることがバレないよう、工作するだろう。その可能性を排除してはならない。その容疑者の戯言が、メディアによって真実であるかのように報道されてしまっている様相を、異常である、と考えるのが普通なのだ。具体例を挙げよう。石原環境大臣は、『美味しんぼ』の描写に対し、不快感を示した、と報道されている。環境大臣の仕事として、『美味しんぼ』の描写に接した時、本来やるべきことは、それが事実であるかどうか、誠意を持って多角的に調査することである。そういうことを全くせず、素人判断で「不快感」を示したのだ。いや、この傾向は石原だけの責任とは言えない。水俣病、四日市喘息、カネミ油症などなど、延々と繰り返されてきた公害訴訟のテンプレートなのである。「私、水俣病ではないですか?」「ありえない!不快だ!」「私、四日市喘息ではないですか?」「ありえない!不快だ!」「私、カネミ油症ではないですか?」「ありえない!不快だ!」エトセトラエトセトラ…。
「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動に、私は賛同していたのだが、今となっては、これすらも安倍政権を支えるものでしかなくなってしまったと私は思う。仮に日本国憲法第9条に、ノーベル平和賞が与えられたとする。受賞者は日本国民である。その代表者である安●晋三は、嬉々として受賞会場に向かうだろう。そして高らかにこうスピーチするのだ。「私の考える積極的平和主義が評価された」と。「これまでの9条は、不備が多かった。しかし、新しい憲法解釈により、集団的自衛権行使が可能になり、これまで以上に世界平和に貢献できる。今、この賞をいただけたということは、この新しい憲法解釈が、世界的にも評価されたものであると私は考えます」と。