バケバケ短歌 11
<第25話>
ヘブン先生が初登校の朝とあって、

旅館ではご馳走を用意します。

ところがヘブンは食べようとせず部屋にこもりきりです。

錦織が来ても出てきません。

閉まった障子を前にここは天岩戸か、

とあきれる錦織。

トキはヘブン先生は怖いのではないかと言います。

握手したときヘブンの手が震えていました。

異国に来て周りの期待も大きく、

ヘブン先生も同じ人間である以上

不安を感じているのではないか、と推測を述べます。

 

それでも錦織は強引に部屋に入るので、

ヘブンは怒ります。

錦織は「ヘブン記者」と呼びかけます。

錦織は知事の江藤からヘブンは教師ではなく、

滞在記を書くために来日した記者だと聞いていました。

 

ヘブンの机を見ると、

日本語を必死に勉強した形跡がありました。

ヘブンは私が大丈夫だろうかと問うと、

錦織は困ったら私がそばにいると安心させます。

ようやく元気を取り戻したヘブンは

着替えて朝食を食べ始めます。
 
                               錦織
この障子天岩戸か籠もり居て何する人ぞ天国居士は

            トキ
ジャケットに寄る辺なき身を包まれて震える手にて吾が手を握る

<第26話>
ヘブンは錦織とともに勤務先の松江中学に着きましたが、

緊張のあまり教室の前で

ぐるぐる回り続けるヘブンでした。

 

しかし教壇に立つと

「日本語は好きだが英語しか使わない」と宣言します。

いまの英語を完璧に理解できた者はいるか、

と問いかけても返事はありません。

ヘブンがこれから一緒に学んでゆけば

英語で会話もできるようになる、と言うと

生徒たちはそれぞれやる気をみせて、

瞬く間に教室は盛り上がります。

       ヘブン
学舎の白き威容を目にすれば巡る思ひは巡りに巡る

                              錦織
隠(こも)る人出で来るもなほ惑ふ人英語放てば学堂に満つ

宿に帰ったヘブンは、中学で教えるのは面白かった、

とイライザへの手紙に書きます。

しかし、ウメがまだ目医者に行っていないことを知ると、

旅館の主人に怒りまくります。

「ジゴク、ジゴク」
おトキは小学校の教師になったサワを祝福します。

しかし、家には借金取りの二代目がやってきて

厳しく借金を取り立てるので、

おじじ様がぶった切ると怒り、

大騒ぎになります。

このとき家をのぞいている男がいるのですが、

サワに声をかけられて逃げてゆきます。


【事実はこうだった!】
 ラフカディオ・ハーン『新編 日本の面影』

(角川ソフィア文庫)には『英語教師の日記から』

という一篇があり、

ハーンの教師生活を知ることができます。
 

1890年9月2日の項には、

松江の尋常中学校と師範学校で1年間

英語教師として奉職する契約を結んだ、とあります。


「中学校は大きな二階建ての洋風木造建築で、

濃い灰青色のペンキが塗ってある。

通学生300人を収容できる設備がある。

師範学校の方がもっと大きな建物で

同じ敷地内にある。

雪のように白い色に塗ってあって、

やねの頂には小さな丸い塔がついている。

150人の生徒は全員寄宿生である。
英語教師、西田千太郎がハーンを

校長や同僚に引き合わせて、

時間割や教科書について必要なことは全部おしえてくれた。」

ドラマでは錦織が西田の役割を演じていますね。

そして、西田は授業の前にハーンを

県庁に連れて行きます。

知事の籠手田安定(こてだやすさだ)に

引き合わせるためでした。

 

ハーンは知事には圧倒的な印象を受けました。

「彼の目をのぞきこむと、私は

この人を死ぬまで愛するような気持ちになった。

仏様のような穏やかさである」などと書いています。
 

また、授業については、

「日本の男の子に教えるのは予想していたより

もずっと面白いことであることがわかった。」

とドラマで手紙に書いていた通りのことを書いています

(逆か)。

 

 

生徒については

「私が話した言葉は必ずしも理解できないけれども、

黒板にチョークで書いたものは何でも理解できる。

みんな驚くほど温和しくて、我慢強い」と高評価です。

 

漱石の『坊ちゃん』では、

新任教師が生徒にいたずらされたり、

かなり手こずらされた印象があるのですが、https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12940170378

えらい違いです。
(前掲書をもとに適宜再構成しました。269~272頁。)

 ドラマの松江中学校は灰青色じゃなくて白でしたね。

それはともかく実に立派な美しい建築物です。

 

ネットで検索すると、校舎の外見シーンは

滋賀県近江八幡市にある市立八幡小学校を

撮影したものだとか。

小学校は1873年(明治6年)開校で、

校舎は設計が1917年(大正6年)で、

現役の校舎としていまなお使われているそうです。

 

あのすばらしい校舎が小学校だったとは驚きです。