パンフレットを開くと、石川慶監督はこう語っている。
「ある程度の曖昧さを残して、いろんな解釈ができる

というのが原作の良さでもありますが、

新たに自分たちの手で何かを渡そうとしているのなら、

そのまま映画化するのは逃げだと思いました。

カズオさんと相談しながら、我々の解釈を一つ提示する

ということが非常に大事でしたし、そうしなければ

今のオーディエンスとコミュニケーションを

とれたといえないのではないかということも、

大きなモチベーションでした。」
 

イシグロさんは解釈自体は委ねてくれた上で、

シナリオの打ち合わせでは、

どこまではっきり提示するかを話し合った。

最終的には編集室での作業での判断となった。
 

かなりはっきりと一つの解釈を提示する

覚悟を決めていたわけである。

心にトラウマを抱えて率直に真実を告白できない悦子は、

ニキに自分と景子の代わりに佐知子と万里子という

架空の親子の話をする。

終末近くになって、佐知子は悦子であり、

万里子は景子だったのだ、という真相が明かされる。

観客としてはそう理解しておけばよいのだが、

そうだとすると、1952年の夏、という時の設定が

そもそも嘘だったということになる。

当時悦子のお腹の中にいたのは景子だったからである。

ここで原作小説に戻ってみよう。

翻訳による再読で「異変」に気づいたのは、

悦子が長崎の港の上にある山に登ったときのことを

語る場面である(『遠い山なみの光』早川文庫、259頁)。

「あの時は景子も幸せだったのよ。

みんなでケーブルカーに乗ったの」。

稲佐山に遊んだ日のことを指しているとしか思えない。

すると万里子は景子だった、ということになる。

一般的な解釈はどうなっているのか、

『ユリイカ 特集*カズオ・イシグロの世界』(平成29年12月号)の森川慎也による

「カズオ・イシグロ 作品解題」を参照した。
 

「本作の特徴は断片的な記憶と人物投影である。

語り手自身がどのような経緯でジローと

別れたのかについては語られず、

その記憶は「薄明」の中にある。

一方、戦争で夫を亡くしたサチコとの関係を

サチコとマリコに投影していく。

本書の結末においてマリコに語りかけていたはずの

エツコの科白が実際にはケイコに向けられたものであることが

示唆される場面はよく知られている。(p.216)」
 

よく知られている場面とは

「あの時は景子も幸せだったのよ」と悦子が語る場面のことだろうか。

私には悦子の語りに偽りが含まれていることを

示唆する個所は他には見つけられなかった。
 

そうだとしても、「みんなでケーブルカーに乗ったの」

の「みんな」とは誰のことだろうか?

原文はWe rode on the cable-cars.となっている。

悦子と景子と解釈できるが、

それ以外にも誰かが一緒だった可能性もある。

例えば、イギリス人の第二の夫である。

この人物は二郎以上に語られることが少ない。

多少顔を出すのは、冒頭で、夫は日本名をつけたがり、

悦子はイギリス名を希望していた、

妥協の産物としてニキという名前になった、というくだりだけである。

第一部の終わりに悦子はニキに女の子の夢を見たと語る。

ユキも見かけたブランコに乗っていた女の子だと思ったが、

そうではない、という悦子に、景子かと問いかけるニキ。

しかし、悦子はそれはずっと前に会った子で、

ユキが知らない、と言う(前掲書 pp.135-136)。

これが万里子を指していると考えるなら、

万里子も実在していたことになる。

景子の誕生日はいつだろうか?

『遠い山なみの光』12頁に「

そろそろ夏になる頃だった―

その頃私は妊娠三カ月か四カ月だった―」と書かれているので

その六カ月後に出産とすると、年末か年始だろう。

小説では何年のことかはっきり書かれていないようなので、

映画で明示されている年を採用することにする。

(日吉信貴『カズオ・イシグロ入門』(立東舎、2017年)

によると1951年夏の長崎と1980年前後のイギリスとなっている。

ただ、小説のどの個所から1951年だと分かるのかは示されていない。)

1952年の年末~1953年の年初、景子誕生。
1953~1958年 悦子の離婚・再婚
1958年11月20日ニキ誕生

もし景子を連れて稲佐山に登ったとすると、

1952年ではありえない。
1958年の夏であれば、ニキを妊娠した状態で

5歳の景子を連れて稲佐山に行った、と考えることができる。

万里子は小学校に通っているはずの年齢―

おそらく十歳くらいなので、5歳との年齢差はあるが、

どちらも幼い女の子であり、

万里子に景子を重ねて見ることはできるだろう。

映画では、ニキが悦子が万里子に買ってやった双眼鏡や、

英語版の"A Christmas Carol"を見つけるという、

物証があるので、佐知子と万里子は架空の存在だという解釈になるが、

小説では二人は実在していた、と解釈することも可能だと思う。

ここで論点を整理するため場合分けすると
佐知子と万里子が①実在していた, ②実在していなかった
稲佐山に行ったのはA 1952年夏 B1958年夏 C1952年と1958年2度行った。

組み合わせてみてその場合どういう解釈が可能か考えてみる。

小説版で①佐知子と万里子が実在していた説を分類すると
①A ほとんど悦子の語り通りの理解でよい。

「あの時は景子も幸せだったのよ」という発言は、

悦子は回想するうちに、万里子に景子を投影していた、

ということを表すための言い間違いである。

①B「あの時は景子も幸せだったのよ」

がそのまま成立するためには、

1958年とするしかない。

佐知子と万里子、悦子と景子という二組の親子で稲佐山へ行った、

ということになり、語られていたこと

とかなりイメージが違ってくる。

Bは②との組み合わせの方がよさそうだ。

①Cもありうる。1952年には

佐知子、万里子、悦子の三人で稲佐山へ行き、

1958年にはユキを身ごもっていた悦子は景子と二人で、

または二人目の夫を加えて三人で稲佐山に行った。

景子を楽しませるため、佐知子たちと行った

思い出の地を再訪したくなったのだ。

映画版は②実在していなかった、だが小説ではどうだろう。
②A景子を身ごもっていた悦子はひとりで稲佐山に登った。

景子がまだ生まれていないのでは、映画版のように、

万里子=景子という等式が成り立たない。

②B 悦子は5歳の景子を連れて稲佐山に登った。

悦子は景子に対する罪の意識から、外国人と恋愛関係になり、

子どもを粗末に扱う佐知子という人物を創造した。

悦子をミステリーでときに登場する

「信頼できない語り手」であるとする考え方である。

 もしくは、当時しばしば幻想を見ていた、のかもしれない。

②C Aが不成立である以上、これも意味がない。


『カズオ・イシグロ入門』では

「終盤までに読者は、なぜ悦子が佐知子と万里子について

語らねばならなかったのかに気付かされることになる。(p.34)」

と書かれている。

悦子は自分と同様に、

外国人と結婚して幼い娘を外国へ連れて行く母親について語った。

自らの決断が景子に与えた負の影響に責任を感じていたから、

直接自らの物語を語りづらかった。

そのかわりに、佐知子と万里子に仮託して自らの物語を語語ろうとした、

という理解である。

非実在説は考慮されていないようだ。

私も小説に関しては実在説である。

佐知子と万里子はしっかり描かれていて

存在感があるということと、

ユキが知らない女の子が万里子らしく思われること、が理由である。

 

 

 

 

 

読み落としもありそうだが、今のところはそれが私の考えだ。