俳句を始めると、ときどき

納得いかない季語に出会うことがあります。

年中子供たちが乗って遊んでいるブランコが

春の季語、といわれてもピンときません。

 

「今はじめる人のための俳句歳時記」

(角川文庫 平成15年58ページ)には

「ぶらんこ[鞦韆 ふらここ 半仙戯] 

古く中国では、春の一日(寒食の日)に

ぶらんこを作り宮殿の女たちが戯れた。

春の暖かな公園や校庭などで児童たちが

ブランコを漕いで楽しげに遊ぶ姿をよく見かける」

と書かれています(58ページ)。

 

古い由来とともに「春の暖かな…」という説明で

何とか春とぶらんこを結びつけようとしています

(角川書店編となっていて無名氏の解説)。

ただし例句は
 

ぶらんこや坪万金の土の上 鷹羽狩行
 

鞦韆は漕ぐべし愛は奪うべし 三橋鷹女
 

鞦韆に腰かけて読む手紙かな 星野立子
 

となっていて、どれも大人の感懐です。

子供たちがぶらんこで遊んでました、

では俳句にならないのでしょう。

また、ぶらんこは春の季語という

前提を知らずに読めば、

例句は三句とも春に限らず、どの季節でもいけそうです。
 

ぶらんこの同義語として、

「鞦韆(しゅうせん)」と「ふらここ」は

わりとよく見かけますが、

「半仙戯(はんせんぎ)」という言葉にはなじみがありません。

 明の瞿佑(くゆう)の「清明即事」という詩の

最後の二句は次のようになっています。

鞦韆 一たび架かる 名園の裏(うち)
人 垂楊(すいよう)を隔てて 笑声(しょうせい)を聴く

名園の庭にはブランコが架けられ、
柳の枝越しに、笑い声が聞こえてくる。

<解説>(…)また末二句は、

寒食清明の時期に庭の樹木に

ブランコをかける風習を詠じている。

この風習は、唐代に始まったようである。

女性らの遊戯として「半仙戯」

(仙人のように天を飛翔する遊び)と称したと伝わる。

さんざめく女性らの歓声がヤナギの樹木越しに聞こえてくる描写は、

女性らを直接登場させずに、

それを感じさせて巧みである。

(赤井益久「NHK カルチャーラジオ 漢詩を読む 

漢詩の歳時記 秋冬編208~209ページ」

寒食は冬至から105日目に当たる前後3日間、

料理に火を使わず、あらかじめ用意した食事を

食べる習慣(同書109ページ)。

現在の4月3日または4日頃。

 

清明は春分から15日目。

現在の4月5日・6日頃(同書 208ページ)。
 

「半仙戯」の仙は仙人の仙でした。

 「清明即事」では歓声が聞こえてくる、

とだけ書かれていましたが、

かなり詳しく描写しているのは

嵯峨天皇(786~842, 在位809~823)の「鞦韆編」です。

奥深いねやのうちの官女たち、

朝早く顔をつくろい髪をくしけずる。
いまこそちょうど寒食のとき、

ぶらんこ遊びのほどよい時だと

誰もがみなわくわくする。
 

たかだかと長い縄を香ににおう花の枝にかけ、

しとやかな彼女たちがひらりと飛ぶさまはまるで鳥のよう。
 

玉なす手でわれさきにと争ってたがいに押しあい、

細やかな腰をぶらんこにくっつけて

飛ぶさまはまるで鳥のよう。

 (中略)
空中の雲を踏まんばかりに高くあがった

ひとそろいの履きものは樹の間を通り抜けて交差し、
地にぞろぞろと引く長い衣のすそは

咲く花の上を掃ってサッとあとに退く。
 

(中略)
 

嬋娟(せんえん/せんけん)たる嬌態(きょうたい) 

今し休まんとし、
縄を攀(よ)じて未(いま)だ下らず 好風流*
 

うるわしくなまめかしい姿態をした宮女は

いま休もうとしながらも、

なおぶらんこの縄にとりすがったまま

おりようともしないこの好ましい風流(みやび)のよさ。

相手につかまらせたかと思うとすぐ飛んでゆく、

しばらくあとにとり残されたままの女友達のむなしさ。

西日(せいじつ)斜(くだ)ち、
未だ家に帰らず。
この節猶(なほ)し禁火を伝ふ
遂に燈(ともしび)無く、月を燈と為す。
鞦韆樹下 心歇(や)み難(かた)し、
去らんとして踟蹰(ちちゅう)し

竟(つひ)に能(あた)はず

西の山に日が傾いても、

まだ家に帰らないでいる官女たち。
この寒食の節はものを焚く火が禁じられていると

今もなお伝えられている、

どこまでも燈火もなく、

空の月を燈火の代わりにするこの日。

 

 

 

 

 

ぶらんこのかかる木のもとで遊ぶ心はやみそうにもない。

帰ろうと思ってもなお足をとどめ遂に帰らずにいる。
 

*この場合の風流は優美な魅力をいう。
(小島憲之編「王朝漢詩編」岩波文庫 102~107ページ)

朝早くから夜になってもぶらんこをやめようとしない官女たち。

ほんとうに楽しそうです。

嬋娟(せんえん/せんけん)たる嬌態(きょうたい) 今し休まんとし、
縄を攀(よ)じて未(いま)だ下らず 好風流
嵯峨天皇も一日中眼を細めて眺めていらっしゃったんでしょうか。

鞦韆図で検索するといろいろ出てきました。

しかし、ぶらんこといえばフラゴナールを思い出します。

『ぶらんこの絶好のチャンス』 

(仏: Les Hasards heureux de l'escarpolette) 

というタイトルでも知られているらしいのですが、

コンプライアンス上問題のある物件ですね。

あー困ったもんだ。