「エマ」は三冊目のオースティンですが、

オースティンの作品は鋭い人間観察と

ユーモアが特徴だと思って読んでいました。

ところがあるささいなエピソードに

思わず切ない感じを受けてしまいました。

それが伝わるかどうか分かりませんが、

紹介したいたいと思います。

或る日、ハリエットはエマの家へ行く途中で

雨に降られてしまって、

村で一番大きな、布地や小物などを売る

フォード商店で雨宿りします。

そこへマーティンと妹のエリザベスが入って来ます。

以前、ハリエットは

ロバート・マーティンからのプロポーズを

断わったことがありました。

外は土砂降りなので出て行けません。

マーティンに言われてエリザベスは

ハリエットに挨拶をしに行きます…

一部始終をハリエットはエマに語りました。

「エリザベスはすぐに私のところへやって来て、

『こんにちは』とあいさつしました。

私が手を出せば握手しそうな感じだったわ。

でも彼女は、以前とぜんぜん違う感じで、

すっかり変わってしまったのが

私には分かりました。

でも彼女は、一生懸命

友達らしく振る舞おうとしました。

私たちは握手をして、しばらく立ち話をしました。

何を話したか覚えてません。

体がぶるぶる震えて。

最近会えなくなって残念ですねと、

彼女が言ってくれたのは覚えています。

なんてやさしい言葉でしょう!

ああ、ミス・ウッドハウス、

あのときはほんとにみじめでした!

もう雨が上がりはじめたので、

すぐに店を出ようと思いました。

すると、ああ、なんということでしょう!

マーティンさんがこちらへやってきたのです!

ゆっくりと、どうしていいかわからないという様子で

私のところへやって来て、

私にあいさつしたんです。

私もあいさつして、

しばらく顔を見合わせて立っていました。

あんな気まずい思いをしたのは生まれて初めてです。

それから勇気を出して、

雨がやんだので失礼しますと言って、

お店を出ました。

でも、道路へ出て三メートルも行かないうちに、

マーティンさんが走ってきて、

『ハートフィールドへ行くなら、

遠回りだけど、

コールマンさんの馬屋の前を通った方がいいです

。この雨で、近道はたぶん水浸しだから』

と言ってくれたんです。

わざわざそれを言いに走ってきてくれたんです。

私はうれしくて死にたい気持ちでした。

それで、『ご親切にありがとうございます』

と心からお礼を言いました。

言わずにはいられなかったんです。(以下略)」

(中野康司訳「エマ」上 ちくま文庫 277~278ページ)

話を聞いたエマは、

「ロバート・マーティンと妹の親切な行為は、

純粋な気持ちから出たものらしい。

ふたりには同情せざるを得ない。

ハリエットが言うように、

彼らの行為には傷ついた愛情と

思いやりの心が入り混じっている」と考えます。

エマが公平であり、

鋭い洞察力を持っていることが分かります。

しかし、マーティン一家は

ハリエットと結婚して社会的地位を上げたいのだ

という先入観に支配され、

感激しやすいハリエットの気持ちを軽視し、

エマはあくまでもフォード商店の出来事は

取るに足らないことだと決めつけてしまいます。

ハリエットの心をどう癒やし、導いて行くのか。

 

それが次の切なエピソードに

つながって行くことになります。

とても分かりやすく、

サービス過剰なくらいの中野康司訳ですが、

訳されていない言葉もあります。

 「ハリエットが言うように、

彼らの行為には傷ついた愛情と

思いやりの心が入り混じっている」

これは原文では

As Harriet described it, 

there had been an interesting mixture of 

wounded affection and genuine delicacy

in their behavior. (Emma, Oxford, p.160)

interestingを忠実に訳に入れると
「ハリエットが言うように、

彼らの行為には傷ついた愛情と

思いやりの心が興味深く入り混じっている」

 

 

 

 

 

なにか、科学者のように

冷静に観察している感じが出て、

エマの考えたことというより、

作者の言葉のようにも感じられます。

そういった感じが出るのを嫌ったのでしょう。

これは翻訳家の技というべきでしょうか。
それともミス・オースティンへの

ちょっとしたダメだし?